辛亥(しんがい)革命の指導者であり、中国国民党の創立者である孫文(そんぶん/スンウェン)の唱えた政治理論。民族主義、民権主義、民生主義をあわせて三民主義という。アメリカの第16代大統領リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」にヒントを得たものだが、内容的には孫文独自のもので、衰亡の危機に瀕(ひん)した中国をいかに救うか、という「救国」の立場に発想の基礎を置いている。孫文の革命活動は、市民社会の建設を前景に置いて清(しん)朝打倒を目ざした辛亥革命の前後の時期と、この革命のあと軍閥混戦の事態が現出するなかで大衆闘争と結合した時期との、二つに分けられるが、三民主義の思想も、それに従って前後二つの時期に分けることができる。
[安藤彦太郎]
前期の三民主義は、1890年代に孫文がヨーロッパに亡命していたころ着想したもので、その民族主義は滅満興漢(めつまんこうかん)を内容としていた。これは、国内少数民族たる満洲族の建てた王朝、清(しん)朝打倒を標榜(ひょうぼう)する点で、近代革命を志向するものではあったが、一種の種族主義の性格も有していた。民族主義が植民地民族解放闘争という内容に発展するのは、後期になってからである。民権主義は共和主義とデモクラシーで、主としてアメリカを模範としながらも、立法、司法、行政の三権に加え、考試、監察の五権分立を構想した。民生主義は、孫文が初め理想と考えた欧米社会にも貧困が存在するのを知り、それを未然に防ぐための経済政策で、平均地権をおもな内容とした。平均地権はアメリカの経済学者ヘンリー・ジョージの学説に触発され、社会発展によって生じた地価の値上がり分に課税することで貧富の差を縮小し民生安定を図るという考えである。社会発展の必須(ひっす)条件は交通の発達であるとし、孫文はこの点で鉄道振興策を重視していた。1905年、東京で結成された中国同盟会が、その政綱に駆除韃虜(くじょだつりょ)(満洲族追放)、恢復(かいふく)中華(以上が民族主義)、建立民国(民権主義)、平均地権(民生主義)の「四綱」を掲げたのは、前期のいわゆる旧三民主義の原型とされる。
[安藤彦太郎]
ところが辛亥革命のあと、革命の成果は北洋軍閥袁世凱(えんせいがい)に奪われたが、孫文は、清朝の崩壊により民族主義が、また共和制の実現により民権主義が実現され、残るは民生主義のみと考えて、袁のもとで全国鉄路督弁の地位についた。しかし、まもなくその夢想は破れ、反袁の第二、第三革命も成功せず、孫文は日本に亡命したりして、軍閥の分立抗争の状況のもとで暗中模索を続けた。そこに1919年、五・四運動が勃発(ぼっぱつ)、帝国主義反対と封建軍閥反対とを結合させた新しい大衆運動の季節を迎えた。孫文はその転換を前にして思想を変化、発展させてゆき、自ら率いる中国国民党を改組し、共産党と提携することを決意するに至った。
1924年1月、広州で国共合作による国民党第一次全国代表大会が開かれ、そこで連ソ・容共・工農扶助の三大政策を打ち出すとともに、三民主義の連続講演を行い、後期の三民主義の新しい立場を明らかにした。この講演筆記が「三民主義」という名を冠したものとしては唯一の著作である。
ここで孫文は、民族主義とは被抑圧民族の立場から反帝闘争を通じて中国民族の自由と独立を図るものであるとし、民権主義については、従来の市民的民主主義に加えて、直接民権の構想を主張した。また、民生主義の平均地権には、耕者有其田(たがやすものそのたあり)(耕作農民に土地を)という主張を取り入れて、封建的地主制廃絶の内容をもたせ、また、平均地権と並んで節制資本、すなわち巨大な私的資本の国家管理という考えを主張した。こうして革命的内容をもつに至った三民主義は、のちに毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)らの新民主主義革命の具体的な実現目標とされ、統一戦線結成の理論的基礎ともなった。
この三民主義は、民主化、近代化を主張する被抑圧民族の側からの発言として貴重な内容をもっていると同時に、さまざまに解釈できる豊富な可能性を秘めており、その講演内容はまさに古典というべき著作である。
[安藤彦太郎]
『安藤彦太郎訳『三民主義』(岩波文庫)』
中国,孫文が唱えたブルジョア民主主義革命の思想。民族主義・民権主義・民生主義から成るので三民主義と総称される。1895年(光緒21)最初の武装蜂起失敗後,日本・欧米亡命中,特に96-97年ロンドン滞在中に基本構想が作られ,1905年中国同盟会結成の際,その綱領として〈韃虜(だつりよ)(満州民族の清朝を指す)の駆除,中華の回復,民国の建立,地権の平均〉の〈四綱〉が掲げられ,孫文はこれを民族・民権・民生の三大主義と呼んだ。06年三民主義と改称。思想内容の変化,発展を経て,24年1月から8月まで16回の〈三民主義〉講演(孫文の北上に続く病死のため,講演の中の民生主義の部分は未完に終わった)は著書《三民主義》にまとめられた。全体の特徴は〈三民主義は救国主義である〉という孫文の言葉に集約され,対外的には中国の国際的地位の平等を,内的には国民の政治的平等と経済的平等を目標としている。
当初は民族主義は清朝専制支配の打倒と統一的独立国家の建設,辛亥革命後はさらに五族共和を,民権主義は君主制に代えて人民主権の共和制国家の樹立と五権分立(立法権・司法権・行政権・考選権・糾察権)を,民生主義は同盟会の時期には土地所有の集中と地主の利益独占を防ぐための〈地権平均〉による土地問題の解決,辛亥革命後はさらに大資本家の企業利益独占を防ぐための〈資本節制〉による社会問題の解決をめざした。当時の中国では最も急進的なブルジョア民主主義革命の綱領であったが,帝国主義への認識と批判が不十分であり,民生主義における〈地権平均〉も地価の上昇分を地主から国家に吸収するにとどまり,地主の土地所有権を保存するものであり,反帝・反封建の綱領を明確に人民大衆に提示して革命に立ち上がらせるにはいたらなかった。ロシア十月革命と五・四運動から民衆の力に依拠することの重要性を学んだ孫文は,24年連ソ・容共・労働者農民への援助の三大政策を採用し,国民党を改組して第1次国共合作が成立した。新たに民族主義では中国の民族解放のための帝国主義反対と国内各民族の自決権の承認を,民生主義では〈耕す者に田を〉という地主制廃止を明確に表明した。
27年蔣介石の反共クーデタ以後,国民党と国民政府による三民主義の絶対化が始まり,同時に国民党内では戴季陶・胡漢民・周仏海のような三民主義への儒教的あるいは反動的解釈が主流を占めるにいたった。中国共産党は27年の国共分裂後三民主義を全面的に批判してきたが,35年半ば以後,抗日民族統一戦線結成への動きの中で三民主義を再評価し始め批判的継承に転じ,その革命的側面を強調するにいたる。毛沢東の《新民主主義論》(1940)はその典型であり,24年の国民党改組を境として三民主義を旧三民主義と新三民主義に分け,新三民主義は中国共産党の〈新民主主義〉段階の最低綱領と一致するとし,抗日民族統一戦線の政治的基礎であると規定した。
執筆者:藤井 昇三
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民国時代初期に孫文が提唱した中国革命の基本方策で,民族,民権,民生の3主義からなり,中国国民党の指導理念となった。孫文が初めて三民主義の構想を発表したのは1905年で,その後内容の改訂,深化が続けられ,晩年に至って理論的な完成をみた。民族主義(国家主義)は,半植民地状態にある中国の独立を達成し,列国と対等な地位に高める手段であり,民権主義は,人民の参政権を拡大して政治上の平等を確立する方法,民生主義は土地,資本の集中独占を制限して,経済上の平等を実現する方法である。
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…中国,孫文が唱えたブルジョア民主主義革命の思想。民族主義・民権主義・民生主義から成るので三民主義と総称される。1895年(光緒21)最初の武装蜂起失敗後,日本・欧米亡命中,特に96‐97年ロンドン滞在中に基本構想が作られ,1905年中国同盟会結成の際,その綱領として〈韃虜(だつりよ)(満州民族の清朝を指す)の駆除,中華の回復,民国の建立,地権の平均〉の〈四綱〉が掲げられ,孫文はこれを民族・民権・民生の三大主義と呼んだ。…
…その後この理論は革命の進展とともに,45年中国共産党第7回全国代表大会での報告《連合政府について》,49年《人民民主主義独裁について》へと受け継がれ発展した。 孫文は1924年の国民党第1回全国代表大会宣言で三民主義について新たな解釈を下し,連ソ・連共・農労援助の三大政策にもとづくことが,三民主義の〈真の解釈〉であると述べた。毛沢東はこれを新民主主義の三民主義と位置づけ,民主主義革命段階における中国共産党の政治綱領とのあいだに基本的共通性を見いだした。…
…彼の主著《大同書》には,このような世界改革のプランと道程が示されている。彼の大同思想は,私淑の弟子譚嗣同(たんしどう)の《仁学》にうけつがれているが,一方その反対派である孫文の三民主義や蔡元培の社会思想にも,大同思想が見られ,さらに,現代の毛沢東の思想にさえも,かすかながらその影響を見ることができる。【坂出 祥伸】。…
…中国現代史上,共産党と並ぶ最大の政党。指導理念は三民主義。青天白日旗を党旗とする。…
…総理は興中会以来の革命歴を背負う孫文,副総理格の執行部長に華興会の創立者で留学生に人望のあった黄興がついた。綱領は〈駆除韃虜,復中華,創立民国,平均地権〉(四綱)で,別の言い方では民族・民権・民生の三大主義である(のちに三民主義とよばれる)。機関誌は《民報》(1905年11月~10年2月),最初,孫文の弟子の汪兆銘,胡漢民,朱執信らが健筆をふるった。…
※「三民主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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