気比神社(読み)きいじんじや

日本歴史地名大系 「気比神社」の解説

気比神社
きいじんじや

[現在地名]三島町気比宮 長村

集落の北背の山手、字長村ながむらにある。主祭神は伊奢沙別命・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命。社伝によれば、聖武天皇が越前敦賀つるが(現福井県敦賀市)気比けひ宮参詣の折、凶作で困窮する国に気比宮を勧請すれば豊饒と国家平安が実現するとのお告げがあり、藤原元長に命じて、現在の社地に気比宮を分祀したといい、元長は気比宮分祀にあたり石塚氏・安達氏に社家四五家を供とし同地に至るという。


気比神社
きひじんじや

[現在地名]鶴岡市三瀬

三瀬さんぜ集落の北、三瀬川北岸の山沿いにある。祭神は保食大神・日本武尊・神功皇后などを配祀し、農業と武の神。旧県社。社名はきびとも読まれる。古くは気比明神また気比権現ともいわれて、社家・修験なども多く、寺は葉山山神福しんぷく寺といった(筆濃余理)。社記(当社蔵)によれば、霊亀二年(七一六)九月越前の民が出羽国に移住の際、敦賀つるが(現福井県敦賀市)より勧請したと伝える。近世には気比山領として三瀬村に三五石を与えられていた(元和八年庄内寺社領目録)


気比神社
きひじんじや

[現在地名]下田町 上久保

通称木ノ下きのしたの西に位置する。祭神は足仲彦尊で、旧郷社。藩政期には藩営牧の木崎野きさきのに含まれ、木崎野馬護神・木下蒼前きのしたそうぜん堂・馬頭観音堂などとも呼称された。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂に勝善堂とあり、俗別当喜蔵とされているのは当神社であろう。藩政期末の「北奥路程記」には「ソウセン」とみえる。伝承によれば文明九年(一四七七)木ノ下の農民松林喜蔵が勧請したという(新撰陸奥国誌)

祭礼の模様を明治初年の「新撰陸奥国誌」は「六月の祭式には馬を飾り、馬丁も花やかなる出立にて参詣す、近郷は言に及はす、遠く岩手県・下津軽地方より来り、朝より夕まて群集し、近邑馬を養ふ者は詣てさるはなく(中略)壮者は飾馬を索来り、画馬を奉納す」と記す。


気比神社
きひじんじや

[現在地名]朝日町気比庄

祭神仲哀天皇。旧村社。草創については不明であるが、「越前地理指南」に「気比宮 当村の内ニ往昔朝倉家一乗より越知山参詣の休所アリ、或時朝倉家ノ妾室懐妊にて参詣アリ、途中ヨリ産の心頻なるにより則彼旅亭へ入輙ク平産男子出生、是より氏神なれはとて宮社厳重ニ再興、其上社領寄られたるを、一乗滅亡ヨリ退転社頭のみ残る由」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の気比神社の言及

【下田[町]】より

…台地は古くから南部駒の産地として知られたが,第2次大戦後は衰退した。木ノ下にある気比神社は馬を飼う農家の信仰が厚く,毎年旧暦6月1日,15日の大祭には絵馬を奉納する信者でにぎわう。現在は米作を中心に野菜,タバコの栽培や酪農,肉牛飼育が行われている。…

※「気比神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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