水木辰之助(読み)みずきたつのすけ

精選版 日本国語大辞典 「水木辰之助」の意味・読み・例文・類語

みずき‐たつのすけ【水木辰之助】

  1. 歌舞伎俳優。初世大坂の人。若女方として、三都を往来し、初世芳沢あやめとともに元祿期(一六八八‐一七〇四)を代表する女方。当たり芸の槍踊りのほか、七変化の所作事を創演。人気俳優として一般風俗にも影響を与え、水木帽子、水木結びの名を残す。延宝元~延享二年(一六七三‐一七四五

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改訂新版 世界大百科事典 「水木辰之助」の意味・わかりやすい解説

水木辰之助 (みずきたつのすけ)
生没年:1673-1745(延宝1-延享2)

歌舞伎役者。立役の名優大和屋甚兵衛の甥として大坂に生まれた。幼名大和屋牛松。前名鶴川辰之助,椹(みずき)辰之助を水木辰之助(初世)と改め,引退後は大和屋宇左衛門といった。元禄期(1688-1704)の代表的女方で,所作事に長じていた。1691年(元禄4)《娘親の敵討》で湯女(ゆな)有馬の藤役が大当りをとり,95年《今源氏六十帖》で猫となって蝶と狂う所作が好評で,若女方上上吉の位を占める。同年《四季御所桜》での槍踊は,宝井其角によって〈煤掃や諸人がまねる槍踊〉と詠み残される。97年の《七化け》は,のちの変化舞踊変化物)の先駆をなす。1704年(宝永1)引退するまでその人気は衰えなかった。2世,3世もあるが,初世がもっとも著名
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「水木辰之助」の解説

水木 辰之助
ミズキ タツノスケ


職業
日本舞踊家(水木流)

肩書
水木流9代家元

本名
大久保 法親

生年月日
大正14年 2月8日

学歴
日本大学芸術科〔昭和19年〕卒

経歴
昭和33年水木流9代目家元を襲名

没年月日
昭和62年 4月6日 (1987年)

伝記
元禄俳優伝 土屋 恵一郎 著(発行元 岩波書店 ’91発行)

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朝日日本歴史人物事典 「水木辰之助」の解説

水木辰之助(初代)

没年:延享2.9.23(1745.10.18)
生年:延宝1(1673)
元禄期の若女形の歌舞伎役者。初代大和屋甚兵衛の甥で女婿。子役大和屋牛松,若衆形鶴川辰之助の時代を経て,元禄初年より若女形となる。元禄4(1691)年「娘親の 敵討」での有馬のお藤役が好評で,同8年,江戸へ下るお名残狂言の近松門左衛門作「水木辰之助餞振舞」(彼の得意芸を盛り込んだお家騒動物)でも同役を演じた。歌舞伎の華である所作事(舞踊)を得意とし,地芸(演技)を得意とした初代芳沢あやめとは好対照であった。元禄11年の「金子吉左衛門日記(元禄11年日記)」には,稽古で得意の踊りの振付を担当する姿がある。宝永1(1704)年,伯父の甚兵衛の死を契機に舞台を退いた。3代まであるが初代が最も有名。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,「元禄11年日記」(鳥越文蔵『歌舞伎の狂言』)

(北川博子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「水木辰之助」の意味・わかりやすい解説

水木辰之助
みずきたつのすけ

歌舞伎(かぶき)俳優。初世(1673―1745)が著名。大坂生まれで、歌舞伎の半道方斉藤新八の子。名優大和(やまと)屋甚兵衛の甥(おい)で、のち女婿(じょせい)となった。大和屋牛松、鶴川(つるかわ)辰之助の名を経て水木と改名。若衆方から若女方となる。『娘親の敵討』(1691)、『水木辰之助餞振舞(たちふるまい)』(1695)の湯女(ゆな)有馬のお藤で評判をとり、女方四天王の一人となる。槍踊(やりおどり)、猫の所作や、変化(へんげ)舞踊の初めともいえる『七化(ななばけ)』を上演するなど、とくに舞踊で三都に名声を得た。しかし31歳で引退した。水木帽子は彼が始めたもの。

[如月青子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水木辰之助」の意味・わかりやすい解説

水木辰之助
みずきたつのすけ

[生]延宝1(1673)
[没]延享2(1745)
歌舞伎俳優。元禄歌舞伎の代表的女方。水木流の祖。『槍踊』や『唐猫』などの所作事にすぐれ,後年江戸劇壇に流行した「変化舞踊」の先駆をなす「七化け」を始めた (→変化物 ) 。「水木帽子」と呼ばれる紫ちりめんのかぶり物を案出し,一般風俗にも影響を及ぼした。当り狂言『今源氏六十帖』『水木辰之助餞振舞 (たちぶるまい) 』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水木辰之助」の解説

水木辰之助(初代) みずき-たつのすけ

1673-1745 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
延宝元年生まれ。初代大和屋甚兵衛の甥(おい)。初代芳沢あやめとともに元禄(げんろく)期の女方の双璧(そうへき)で,槍(やり)踊りと猫の所作を当たり芸とした。32歳で引退。水木帽子の創始者,水木流舞踊の流祖。延享2年9月23日死去。73歳。大坂出身。初名は大和屋牛松。前名は鶴川辰之助(2代)。後名は大和屋宇左衛門。俳名は歌蝶。

水木辰之助(3代) みずき-たつのすけ

?-? 江戸時代中期の歌舞伎役者。
3代大和屋甚兵衛の門人。女方。宝暦8年(1758)3代を襲名,9年2代菊川喜代太郎にあらためた。前名は菊川常次郎。

水木辰之助(2代) みずき-たつのすけ

大和屋甚兵衛(やまとや-じんべえ)(3代)

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世界大百科事典(旧版)内の水木辰之助の言及

【日本舞踊】より

…そして女方の発生により舞踊の中心は女方に移って,元禄(1688‐1704)~享保(1716‐36)期に歌舞伎舞踊は第1次の完成をみた。この間に右近源左衛門の《海道下り(かいどうくだり)》,水木辰之助の〈槍踊(やりおどり)〉や《七化け(ななばけ)》などが生まれ,《七化け》は変化(へんげ)舞踊(変化物)の先駆をなした。 享保から宝暦(1751‐64)には,初世瀬川菊之丞と初世中村富十郎が《無間の鐘(むけんのかね)》《石橋(しやつきよう)》《娘道成寺》などの名作を生み,女方舞踊を完成させた。…

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