歌舞伎役者。立役の名優大和屋甚兵衛の甥として大坂に生まれた。幼名大和屋牛松。前名鶴川辰之助,椹(みずき)辰之助を水木辰之助(初世)と改め,引退後は大和屋宇左衛門といった。元禄期(1688-1704)の代表的女方で,所作事に長じていた。1691年(元禄4)《娘親の敵討》で湯女(ゆな)有馬の藤役が大当りをとり,95年《今源氏六十帖》で猫となって蝶と狂う所作が好評で,若女方上上吉の位を占める。同年《四季御所桜》での槍踊は,宝井其角によって〈煤掃や諸人がまねる槍踊〉と詠み残される。97年の《七化け》は,のちの変化舞踊(変化物)の先駆をなす。1704年(宝永1)引退するまでその人気は衰えなかった。2世,3世もあるが,初世がもっとも著名。
執筆者:武井 協三
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出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
(北川博子)
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歌舞伎(かぶき)俳優。初世(1673―1745)が著名。大坂生まれで、歌舞伎の半道方斉藤新八の子。名優大和(やまと)屋甚兵衛の甥(おい)で、のち女婿(じょせい)となった。大和屋牛松、鶴川(つるかわ)辰之助の名を経て水木と改名。若衆方から若女方となる。『娘親の敵討』(1691)、『水木辰之助餞振舞(たちふるまい)』(1695)の湯女(ゆな)有馬のお藤で評判をとり、女方四天王の一人となる。槍踊(やりおどり)、猫の所作や、変化(へんげ)舞踊の初めともいえる『七化(ななばけ)』を上演するなど、とくに舞踊で三都に名声を得た。しかし31歳で引退した。水木帽子は彼が始めたもの。
[如月青子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…そして女方の発生により舞踊の中心は女方に移って,元禄(1688‐1704)~享保(1716‐36)期に歌舞伎舞踊は第1次の完成をみた。この間に右近源左衛門の《海道下り(かいどうくだり)》,水木辰之助の〈槍踊(やりおどり)〉や《七化け(ななばけ)》などが生まれ,《七化け》は変化(へんげ)舞踊(変化物)の先駆をなした。 享保から宝暦(1751‐64)には,初世瀬川菊之丞と初世中村富十郎が《無間の鐘(むけんのかね)》《石橋(しやつきよう)》《娘道成寺》などの名作を生み,女方舞踊を完成させた。…
※「水木辰之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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