三都(読み)さんと

百科事典マイペディアの解説

江戸時代,幕府の直轄領で,人口もずば抜けて多かった江戸大坂京都をいう。三箇津(さんがのつ)とも。江戸は最大の城下町で政治の中心,〈天下の台所〉と称された大坂は商業経済の中心,古都の京都は宗教・学問・文化の中心とそれぞれの特徴があった。
→関連項目揚屋伊勢商人越前奉書髪結豪商里親町鑑町奴守貞謾(漫)稿芳沢あやめ羅宇屋両替商

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世界大百科事典 第2版の解説

江戸時代,幕府の直轄都市で人口などの面でずぬけて規模の大きかった京都,江戸,大坂をいう。元禄期(1688‐1704)ころの三都の人口はほぼ35万人前後であったが,同じ幕府の直轄都市堺が約6万,長崎が約5万,また城下町として最大規模の金沢鹿児島名古屋が約5万であったから,三都の大きさがわかる。江戸時代の三都がきわだった大都市となったことは,幕藩制という政治的・経済的構造の特徴と関連があることはいうまでもない。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 三つの大きな都市。特に、京都・東京(江戸)・大阪をいう。三府。
※談義本・成仙玉一口玄談(1785)一「凡(およそ)広き三都(サント)にも、又二人と有まじき美婦人」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

江戸時代の三大都市,江戸・大坂・京都をいう。いずれも幕府の直轄都市だった。

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世界大百科事典内の三都の言及

【都市】より

国府都城【鬼頭 清明】
【中世】
 日本の中世都市に関する古典的研究は,西欧の古典的中世都市論の影響の下に,古代都市を統治機能中心にみるのと対の形で,経済すなわち商業手工業中心に自治の達成を規準としながら論じられてきた。したがって中世前期は古代の残影という視角で三都(京都奈良鎌倉)の変貌,形成をとらえ,商業・手工業の発達する中世後期に及んで地方を含めて多様な中世都市が一律に自治的要素をもって本格的に成立するとみる傾向が強かった。さらに三都や城下町門前町寺内町港町等々の多様な地方都市の質的差異や,構造的連関まで論じられることは少なかった。…

【文化文政時代】より

…化政文化に濃厚な都市的な性格が指摘されるゆえんである。ところがまた〈江戸っ子〉の意識形成は一面では,それまで文化的な価値の基準となってきた上方への対抗心という性格をもっており,それは18世紀後半からこの時期にさかんに著された三都(京,大坂,江戸)比較論のなかでひときわ精彩を放つのが,江戸文人による上方,なかんずく京都批判であったことからもうかがえる。
[文化の大衆性]
 ついで化政文化の大きな特色は,そのいちじるしい大衆性に求められるであろう。…

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