江戸初期の商人。正確な生没年は不明。播磨(はりま)国(兵庫県)高砂(たかさご)の生まれという。1626年(寛永3)、朱印船貿易家角倉了以(すみのくらりょうい)の船頭、前橋清兵衛に書役(かきやく)(書記)として雇われ、シャム(タイ)に渡航し、さらに30年にもオランダ人ヤン・ヨーステン(耶揚子(やようす))の朱印船に乗り組み、東南アジアからインド方面に渡航した。この二度の渡航の見聞をまとめたものが『天竺渡海物語』『天竺物語』として伝えられ、当時の朱印船の構造や貿易品などを知る重要な史料となっている。また、徳兵衛の見聞記は、その異国趣味的興味が鎖国制下、江戸時代庶民の好奇心をそそり、『天竺徳兵衛聞書往来』(並木正三(しょうざ)・1757)、『天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)』(近松半二(はんじ)・1763)、『天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)』(4世鶴屋南北(つるやなんぼく)・1804)など、浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)の題材に取り上げられ、広く流布した。
[加藤榮一]
江戸初期の商人。播磨国高砂の出身。1626年(寛永3)には角倉(すみのくら)船の船頭前橋清兵衛の書役として,また30年にはヤン・ヨーステンの船に乗船して中天竺(シャム)に渡航した。1707年(宝永4)徳兵衛は両度の渡海と東南アジアの寄港地の見聞を長崎奉行所に提出したが,これが世上に流布して《天竺徳兵衛物語》《渡天物語》などと称された。内容には地理的な誤りなどもあるが,山田長政など南方移住日本人の記述や朱印船貿易の記事は貴重である。彼の見聞記は,のち4世鶴屋南北の《天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)》など歌舞伎,浄瑠璃に脚色された。
執筆者:村井 益男
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…1809年(文化6)6月江戸森田座初演。配役は,天竺徳兵衛実は赤松次郎政則・岩倉夜叉丸・土佐又平後に木津川与右衛門・累井筒の累を尾上栄三郎(後の3世菊五郎),狩野四郎次郎元信・村越良助を花井才三郎,那迦犀那尊者実は竹杖外道・後室お国御前・渡し守浮世又平を尾上松助。題材は,一番目が,天竺徳兵衛と佐々木家のお家騒動のうち,お国御前と狩野四郎次郎の愛欲のかけひきを中心に,不破名古屋の世界を仕組み,牡丹灯籠の趣向をこらし,二番目は,累・与右衛門を中心に,小さん・金五郎の世界をもちこみ,佐々木家にちなんで土佐又平や元信の妹である芸者小さんを登場させている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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