やまと新聞(読み)やまとしんぶん

改訂新版 世界大百科事典 「やまと新聞」の意味・わかりやすい解説

やまと新聞 (やまとしんぶん)

1884年10月《東京日日新聞創刊者の一人である条野伝平(採菊。鏑木清方の父。1831-1901)によって《警察新報》として創刊され,おもに警察ダネを掲載する小新聞(こしんぶん)であった。86年10月《やまと新聞》と改題。三遊亭円朝の講談速記の連載など庶民向けの編集方針で評判を得た。しかし他紙におされて紙勢振るわず,97年に子爵高島鞆之助(1844-1916)に譲渡,さらに1900年には新聞経営者で政治家の松下軍治(1867-1915)の手に移った。1900年11月から04年12月までは《日出国新聞》と改題し,〈やまと〉と読ませたが,以後は《やまと新聞》に復した。松下軍治社長時代は,福地桜痴(源一郎)や朝比奈知泉らの老言論人を擁していた。政治的には,山県有朋・桂太郎系とみなされ,13年の憲政擁護運動では民衆焼打ちをうけた。翌年シーメンス事件では山本権兵衛内閣打倒の急先鋒となり,松下は同志記者会の代表格として活躍した。15年に松下が死去してからは衰退していき,31年1月からは4ページ建ての夕刊新聞となり,昭和期に入ると右翼岩田富美夫の手に移った。44年4月ころ廃刊したとみられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「やまと新聞」の意味・わかりやすい解説

やまと新聞
やまとしんぶん

第二次世界大戦前、東京で発行されていた日刊紙。1886年(明治19)10月7日、条野採菊(さいきく)、西田伝助ら『東京日日新聞』の関係者が、『警察新報』を改題創刊した大衆新聞で、三遊亭円朝その他有名な芸人の話や講談を連載、評判を博した。1900年(明治33)松下軍治の経営に移り、11月1日『日出国(やまと)新聞』と改題したが、04年ふたたび旧題号に復した。松下時代は藩閥山県(やまがた)・桂(かつら)系紙となり、大正初期のシーメンス事件では山本権兵衛(ごんべえ)内閣を批判、大隈重信(おおくましげのぶ)内閣擁立に力を尽くしたが、このころが最盛期で、15年(大正4)松下が亡くなると衰退に陥った。昭和に入ると、右翼大化会の指導者岩田富美男の手に移り、夕刊紙となって国防思想の普及に努めた。44年(昭和19)4月30日まで発行が確認されている。

[春原昭彦]

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百科事典マイペディア 「やまと新聞」の意味・わかりやすい解説

やまと新聞【やまとしんぶん】

明治〜昭和初期の日刊紙。警察ダネを掲載する小新聞(こしんぶん)であった《警察新報》の後身。1886年創刊。社長は条野伝平。福地桜痴や岡本綺堂らが健筆を振るい発行部数33万を数えた時もあった。政治的には山県有朋・桂太郎系とみられ,1913年の憲政擁護運動では民衆の焼打を受けた。1915年社長の松下軍治が死去すると衰退し,1944年廃刊。
→関連項目条野採菊山本実彦

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「やまと新聞」の意味・わかりやすい解説

やまと新聞
やまとしんぶん

明治から昭和にかけて発行された政府・右翼系の日刊紙。 1884年創刊の『警察新報』を改題,継承して『東京日日新聞』の創立者条野伝平らが 86年 10月に創刊。山県有朋,田中光顕,桂太郎ら政界実力者のてこ入れもあったが,三遊亭円朝の落語・講談速記を連載するなど娯楽趣味に訴えた紙面づくりが受けて,88年の年間総発行部数は 589万余で,『郵便報知新聞』に次いだ。関東大震災後,急速に右翼的,ファッショ的傾向を強めた。 1944年廃刊。

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