出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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能美島
のうみじま
広島県南西部、広島湾内にある島。東部は飛渡瀬(ひとのせ)の地峡によって江田(えた)島と連なり、南東部は早瀬瀬戸(はやせのせと)を挟んで倉橋(くらはし)島に対するが、早瀬大橋によって連絡している。北西から南東方向に細長い島で、中央がくびれており、北部を西能美島、南部を東能美島という。
島内からは弥生(やよい)時代、古墳時代の土器が発掘されており、平安後期には能美庄(しょう)であった。行政的には佐伯(さえき)郡沖見、能美、大柿(おおがき)の3町からなっていたが、2004年(平成16)に3町と安芸(あき)郡江田島町が合併、江田島市として市制施行した。広島、呉(くれ)両市への通勤・通学者が多い。丘陵地の多い島内は階段状に耕作され、ミカン栽培のほか、花卉(かき)・野菜栽培、近海漁業、カキ・ノリ養殖が行われる。地続きの江田島と合わせた面積は91.44平方キロメートル、人口2万7031(2010)。
[北川建次]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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能美島 (のうみじま)
広島湾中央にある島で,飛渡瀬(ひとのせ)の砂州で江田島とつながる。面積61km2。南北に細長い紡錘形の二つの小山地からなり,中央の平地部を境に西能美島,東能美島と呼ばれる。平安後期,島は能美荘と呼ばれる皇室領荘園となり,一部は高野山に寄進されていた。荘官であった能美氏の開発と考えられ,能美氏一族はその後も長く島の在地支配者であった。行政的には佐伯郡に属し,北西部の沖美町,中央部の能美町,南東部の大柿町の3町に分かれるが,1973年より江能広域行政事務組合を設立。3町は2004年合併して江田島町とともに江田島市となった。山地中腹までミカンなどかんきつ類の畑がおおい,またトマト,花卉などの施設園芸が盛んである。周囲の海にはカキいかだが浮かぶ。広島市への通勤・通学が多い反面,海水浴,釣り,ミカン狩りなどで来島する人々も多い。
執筆者:藤原 健蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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能美島【のうみしま】
広島県南西部の島。面積61km2。平安時代には能美庄が成立,中世には大内氏の勢力下となり,江戸時代にはすでに能美ミカンの名が知られた。東の江田島とは地続きであるが別の島のように呼ばれる。佐伯郡沖美,能美,大柿の3町(3町とも現・江田島市)からなり,段々畑による畑作,ミカン栽培のほか,真珠養殖を営む。広島,呉への通勤者も多い。
→関連項目広島[県]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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能美島
のうみじま
広島県南西部,広島湾内にある島。江田島市に属する。中央の地峡部で北部の西能美島と南部の東能美島に区分され,飛渡瀬 (ひとのせ) の地峡部で江田島とつながっている。丘陵性山地がほとんどで,地峡部や海岸性低地に集落がある。ミカン,野菜,花卉の栽培が盛ん。東能美島と倉橋島の間に早瀬大橋がかかる。面積 70.69km2。人口2万 737 (1995) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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能美島
広島県江田島市、広島湾中央部にある島。「のうみじま」と読む。江田島とは南部で陸続きになっており、実質的にはひとつの島の西側にあたる。両島をあわせた面積は約91.53平方キロメートル。砲台山森林公園内の旧三高山砲台は土木学会により土木遺産に認定されている。江田島湾に面した海水浴場がある。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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