江馬修(読み)エマ ナカシ

20世紀日本人名事典 「江馬修」の解説

江馬 修
エマ ナカシ

大正・昭和期の小説家



生年
明治22(1889)年12月12日

没年
昭和50(1975)年1月23日

出生地
岐阜県高山市

学歴〔年〕
斐太中中退

経歴
斐太中学を中退して上京、東京市水道局に勤めながら田山花袋師事。明治44年短編小説「酒」を早稲田文学発表、作家生活に入った。白樺派の人道主義に影響され、大正5年長編「受難者」、6年「暗礁」を発表、新進ヒューマニズム作家として知られた。関東大震災を機に左翼思想に傾き、15年渡欧。帰国後、日本プロレタリア作家同盟に参加、「戦旗」編集に当たり、「黒人の兄弟」「きみ子の経験」、戯曲「阿片戦争」などを発表。昭和7年弾圧を逃れて郷里飛驒高山に帰り、13年長編歴史小説「山の民」を自費出版した。戦後、新日本文学会に属し、25年藤森成吉らと「人民文学創刊に参加した。「山の民」は改作を重ね、48年最終稿を刊行。他に「本郷村善九郎」「氷の河」、自伝「一作家の歩み」、「江馬修作品集」(全4巻)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江馬修」の意味・わかりやすい解説

江馬修
えまなかし
(1889―1975)

小説家。岐阜県生まれ。1916年(大正5)、青春の愛と苦悩を描いた長編小説『受難者』を発表、ベストセラーとなった。関東大震災後社会主義接近、ナップ系の一員として活躍。プロレタリア運動崩壊後故郷高山へ帰り、明治維新期飛騨(ひだ)に起こった農民一揆(いっき)を描いた著者のライフワーク『山の民』(1938~40)を完成した。第二次世界大戦後は藤森成吉(せいきち)らと『人民文学』を創刊、自伝『一作家の歩み』(1957)などを書いた。ほかに『暗礁』(1917)、『追放』(1926)などの長編小説がある。

[大塚 博]

『『江馬修作品集』(4巻にて中絶。1973・北溟社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江馬修」の解説

江馬修 えま-なかし

1889-1975 大正-昭和時代の小説家。
明治22年12月12日生まれ。江馬三枝子,のち豊田正子の夫。田山花袋(かたい)にまなび,大正5年「受難者」が評判となる。関東大震災後,人道主義から社会主義にうつり,「戦旗」に作品を発表。のち故郷の岐阜県高山にもどり,長編歴史小説「山の民」の完成に力をそそいだ。昭和50年1月23日死去。85歳。

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367日誕生日大事典 「江馬修」の解説

江馬 修 (えま なかし)

生年月日:1889年12月12日
大正時代;昭和時代の小説家
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の江馬修の言及

【プロレタリア文学】より

…文戦派)はしだいに色あせて見えるようになり,やがては実力派だった平林たい子,黒島伝治,細田民樹(1892‐1972)らが脱退し,その多くはナップに参加した。なお,明治・大正以来の文壇作家で大正末年から社会主義運動ないしプロレタリア文学運動に参加した作家として,藤森成吉,江口渙(きよし)(1887‐1975),江馬修(ながし)(1889‐1975),宮本百合子,細田民樹,細田源吉(1891‐1974)らがおり,彼らも結局はすべてナップに参加した。ほかに〈同伴者作家〉として広津和郎,野上弥生子,山本有三,芹沢光治良らがいた。…

※「江馬修」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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