池田遥邨(読み)いけだ ようそん

美術人名辞典の解説

池田遥邨

日本画家。岡山県生。名は昇一。京都絵専卒。初め松原三五郎の天彩画塾で洋画を学ぶが、のち日本画に転向、竹内栖鳳の竹杖会に入門する。冨田渓仙の影響を受けた鳥瞰図法による明るい色彩の風景画で独自の画境を開く。上村松篁らと水明会を、浜田観らと葱青社を結成、また画塾青塔社を主催し後進の育成にあたる。新文展日展審査員を歴任。日展顧問・芸術院会員。文化功労者。文化勲章受章。昭和63年(1988)歿、93才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池田遥邨 いけだ-ようそん

1895-1988 大正-昭和時代の日本画家。
明治28年11月1日生まれ。松原三五郎に入門,洋画で文展に入選したが,大正のはじめ日本画に転じ,竹内栖鳳(せいほう)に師事した。昭和3年「雪の大阪」,5年「烏城」が帝展特選。11年から母校の京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)でおしえた。28年から青塔社を主宰。51年芸術院会員。62年文化勲章。昭和63年9月26日死去。92歳。岡山県出身。本名は昇一。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

池田遥邨
いけだようそん

[生]1895.11.1. 岡山
[没]1988.9.26. 京都
日本画家。本名は昇一,別号は遙村,遙山水人。 1926年京都市立絵画専門学校 (現・京都市立芸術大学) 研究科修了。当初は松原三五郎門下で洋画を学び,『災禍の跡』など,ムンクゴヤに影響を受けた作品を発表した。しかし,個展会場を訪れた小野竹喬の言に触発され,さらに歌川広重に心酔して日本画に転向,竹内栖鳳に師事した。 28年『雪の大阪』,30年『烏城』が帝展で特選となり注目を集めた。 36~49年母校で助教授をつとめたのち,60年青塔社を主宰。 76年芸術院会員。 84年文化功労者。 87年文化勲章を受章。晩年は南画的なイメージや種田山頭火の句などを融合した独自の世界を切り開いた。

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