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池辺三山 いけべ さんざん

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美術人名辞典の解説

池辺三山

ジャーナリスト。熊本県生。名は吉太郎、別号に鉄崑崙、字は任道。慶大中退。『日本』の客員として健筆を揮ったが、『大阪朝日新聞』に迎えられ、また『東京朝日新聞』の主筆に転じた。『朝日新聞』の隆盛の基を築いた一人である。明治45年(1912)歿、49才。

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デジタル大辞泉の解説

いけべ‐さんざん【池辺三山】

[1864~1912]新聞記者。熊本の生まれ。本名、吉太郎。「東京朝日新聞」主筆として活躍。

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百科事典マイペディアの解説

池辺三山【いけべさんざん】

ジャーナリスト。本名吉太郎。熊本生れ。慶応義塾卒。1893年渡仏,鉄崑崙(てつこんろん)の筆名で《日本新聞》に送った〈巴里通信〉が好評で文名をあげた。大阪朝日新聞,東京朝日新聞(朝日新聞)の主筆を歴任。
→関連項目鳥居素川

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池辺三山 いけべ-さんざん

1864-1912 明治時代のジャーナリスト。
文久4年2月5日生まれ。池辺吉十郎の長男。明治21年雑誌「経世評論」の主筆。25年渡欧し,新聞「日本」に寄稿した巴里(パリ)通信で文名をあげる。30年「東京朝日新聞」主筆。社説で政論を展開,また夏目漱石,二葉亭四迷らをむかえ,同紙の基礎をかためた。明治45年2月28日死去。49歳。肥後(熊本県)出身。慶応義塾中退。本名は吉太郎。字(あざな)は任道。別号に鉄崑崙。

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朝日日本歴史人物事典の解説

池辺三山

没年:明治45.2.28(1912)
生年:元治1.2.5(1864.3.12)
明治時代ジャーナリスト。本名は吉太郎。鉄崑崙などの別号があった。熊本藩士の父吉十郎,母世喜の長男。吉十郎は西南戦争(1877)の際,熊本隊を率いて西郷隆盛軍に参加し,処刑された。このことは,のちの三山に大きな影響を与えた。明治14(1881)年上京し,中村敬宇(正直)の私塾同人社や慶応義塾に学ぶ。20年『山梨日日新聞』に論説を投稿して言論界入りし,21年には東海散士に依頼され,ナショナリズムを主張する雑誌『経世評論』の編集長となる。しかし,23年には経営不振のためこれを投げ出し,『日本』に論説を投稿し始める。25年旧藩主の世子細川護成の輔導役として渡仏し,27年より鉄崑崙の名で「巴里通信」を『日本』に寄稿し,名声を得た。29年『大阪朝日新聞』主筆,30年『東京朝日新聞』主筆を兼任。31年から『東京朝日新聞』専任となった。開戦も辞せずという対露強硬論など外交や内政問題について数多くの社説を書いた。紙面の近代化を図り,「新聞記事は明快にして達意」という持論を社内に浸透させた。日露戦後は小説面の刷新を図り,二葉亭四迷,夏目漱石の入社,小説連載を実現させた。史論家として「大久保利通論」や「伊藤博文論」「岩倉具視論」を『中央公論』に書き,死後『明治維新三大政治家』として出版された。<参考文献>池辺一郎・富永健一池辺三山 ジャーナリストの誕生』

(小宮一夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いけべさんざん【池辺三山】

1864‐1912(元治1‐大正1)
明治時代のジャーナリスト。本名吉太郎,鉄崑崙(てつこんろん)とも号す。熊本藩士の父吉十郎の私塾や慶応義塾に学ぶ。1887年《山梨日日新聞》に論説を書き言論界入り,92年細川護成の補導役として渡欧,《日本》に寄稿した〈巴里通信〉で文名を高めた。96年《大阪朝日新聞》主筆就任,97年《東京朝日新聞》主筆を兼任(翌年専任),不振の同紙を立て直す。明治30年代中期,日露関係が緊張すると対露強硬論・主戦論の論陣を展開,1905年ポーツマス条約締結に際しては,当時の桂内閣の妥協的態度を強く非難した。

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大辞林 第三版の解説

いけべさんざん【池辺三山】

1864~1912) 新聞記者。肥後の人。慶大中退。本名、吉太郎。日露関係において対露強硬論・主戦論を展開。東京朝日新聞主筆として活躍する一方、夏目漱石・二葉亭四迷などの起用でも知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

池辺三山
いけべさんざん

[生]文久4(1864).2.5. 熊本
[没]1912.2.28. 東京
ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南 (くがかつなん) の『日本』を経て,1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり,すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており,相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

池辺三山
いけべさんざん
(1864―1912)

明治期の新聞記者。本名は吉太郎、号は鉄崑崙(こんろん)など。肥後藩士池辺吉十郎(西南戦争の熊本隊隊長)の長男。同人社、慶応義塾に学ぶ。1888年(明治21)『経世評論』主筆となる。条約改正反対運動に従事し、国民自由党に参加。1892年から3年間、旧藩主細川護久(もりひさ)の子護成(もりなり)に従いフランスに遊学。『日本』紙に「巴里(パリ)通信」を寄稿し好評を得た。1896年『大阪朝日新聞』に入社。翌1897年『東京朝日新聞』主筆となり同紙を東京における有力新聞に育てた。国民同盟会などの対外硬(強硬外交)運動にも参画。1911年(明治44)社内紛議がもとで退社。以後、明治維新史などの史論執筆を志したが、翌明治45年2月28日病没。[有山輝雄]

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