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山口定雄 やまぐちさだお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山口定雄
やまぐちさだお

[生]文久1(1861).徳島
[没]1907.10.2. 長野,飯田
俳優。初め我若という女方。片岡我当あるいは仁左衛門の門下といわれるが,一説に土佐高知の湯屋で働いたのち,旅回り一座に入って勝手に名のったともいう。書生芝居の興った機運に乗じて一座を組織。突然演技を中断して演説を始めたり,街で奇行を演じたりしたという。 1892年『明治裁判弁護誉』『大地震尾濃日記』をもって東京市村座に進出。川上音二郎一座,福井茂兵衛一座と3座鼎立時代をつくった。探偵実話を脚色上演したり,衣装に豆電球を使ったけれん宙乗りで活躍した。河合武雄喜多村緑郎ら,のちの新派の大立て物を育てた功績は見逃せない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山口定雄 やまぐち-さだお

1861-1907 明治時代の舞台俳優。
文久元年生まれ。関西歌舞伎の女方から新派に転じる。時事的な「都新聞娘義太夫」や電気仕掛けの宙乗りで評判をとる。明治35年宙乗りに失敗し,再起できなかった。明治40年10月2日死去。47歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。本名は吉村定光。前名は片岡我若。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまぐちさだお【山口定雄】

1863‐1907(文久3‐明治40)
新派俳優。本名吉村定光。徳島県生れ。旅役者の一座から,大阪に出て3世片岡我童(がどう)の門に入り,歌舞伎の女形となる。のち山口定雄と名のり新派に転じ,1892年東京市村座で,座長として一座の旗揚げをした。東京の各劇場で歌舞伎の演目と新作を混交して上演,立役と女形を演じて好評を得,95年時事的な際物(きわもの)《都新聞娘義太夫》で大当りをとった。《本朝廿四孝》ほかで電気仕掛けの宙乗りをみせ,ケレン味の多い通俗的な芝居で人気を博したが,宙乗りから落ちて大けがをし晩年は不遇のうちに終わった。

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世界大百科事典内の山口定雄の言及

【新派】より

…演技・演出ともに基本的には歌舞伎の物まねであったが,書生的な蛮声をはりあげての弁舌が注目された。もう一つの出発点は,91年11月に浅草の吾妻座で伊井蓉峰(ようほう)が〈男女合同改良演劇〉と称して〈済美館(せいびかん)〉を興し,依田学海《政党美談淑女之操》などを上演し,また翌年7月市村座で山口定雄が,93年6月吾妻座で福井茂兵衛(1860‐1930)が,それぞれ一座を組織し旗揚げをした動きである。彼らには政治色はまったくなく山口は元歌舞伎役者だし,伊井も芝居好きで銀行勤めからこの世界にとびこんだ人間であった。…

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