朝日日本歴史人物事典 「河竹新七(初代)」の解説
河竹新七(初代)
生年:延享3(1746)
江戸中期の歌舞伎狂言作者。本名竹三郎。俳号能進。別号能進斎。師については諸説があって未詳。明和1(1764)年,江戸中村座にはじめて名がみえ,以後,江戸で活躍するが,その期間は短く,天明のはじめには引退したらしい。主に初代中村仲蔵のために作品を書き,安永4(1775)年の常磐津浄瑠璃「垣草恋写絵」(「忍売」)は今も演じられる名作。他に「伊達錦対将」「白井権八狂言始」「信太長者柱」などが知られる。仲蔵の随筆『秀鶴日記』も事実は彼の著作という。東京向島百花園に2代目新七を継いだ河竹黙阿弥の追悼文を彫った「しのぶ塚」が建っている。<参考文献>守随憲治『歌舞伎序説』
(諏訪春雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報