河越館跡(読み)かわごえやかたあと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河越館跡」の意味・わかりやすい解説

河越館跡
かわごえやかたあと

埼玉県川越市上戸(うわと)、入間(いるま)川左岸の低台地上にある鎌倉時代に活躍した河越氏の館跡。『新編武蔵風土記(むさしふどき)稿』には「川越城の旧跡なり」とあり、土塁の巡る館の絵図がある。1971年(昭和46)から9次に及ぶ発掘調査が行われ、東西約200メートル、南北218メートルの長方形規模で、土塁の外側に二重の堀が巡り、内堀外堀との一郭に二間四方の掘立て柱の下人(げにん)小屋が密集していたことがわかった。館跡の北東部には、入間川に通じる運河(上幅11メートル、深さ3メートル、底幅5メートル)が設けられ、その左岸の中段には船の「曳(ひ)き道」が築かれ、右岸には柱穴(ちゅうけつ)群が密集し、もやい柱とともに倉庫棟の存在を示している。運河の堀底からは、草履(ぞうり)、木製の人形、椀(わん)形漆器、曲物(まげもの)、陶磁器、かわらけ、馬の歯、法螺(ほら)貝など、中世武士の生活を示す遺物が多数出土した。現在公有地化が進められており、84年12月国の史跡に指定された。

小泉 功]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

国指定史跡ガイド 「河越館跡」の解説

かわごえやかたあと【河越館跡】


埼玉県川越市上戸にある城館跡。市の北西、入間(いるま)川西岸に接する平坦地にあり、その東南部を占める常楽寺境内を挟んで東西約150m、南北約200mの、方形の区画を思わせる高さ1~3mの土塁とその外側の堀が一部残っている。鎌倉時代の関東武士のなかで、重鎮の位置を占めた河越氏の館跡で、在地領主の実態を究明するうえで重要とされ、1984年(昭和59)に国の史跡に指定された。河越氏は秩父氏の一族で、平安時代に河越荘の領主として勢力を伸ばし、室町時代にいたるまで有力武将として活躍した。発掘は1971年(昭和46)から行われ、平安時代末期から戦国時代にかけての堀や井戸住居などの遺構が検出され、『新編武蔵風土記稿』が常楽寺の挿絵(さしえ)として描く河越館跡の姿が確認された。2010年(平成22)に河越館跡史跡公園がオープンし、出土品が展示されている。東武鉄道東上線霞ヵ関駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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