泊港(読み)とまりこう

日本歴史地名大系 「泊港」の解説

泊港
とまりこう

[現在地名]那覇市泊三丁目・前島三丁目

那覇市中央部北側、安里あさと川の河口に位置する港。方音ではトゥマインナトゥという。

〔古琉球期・近世〕

王都首里の至近にあって交通の便に恵まれた泊港は、一三世紀から一四世紀にかけては国頭地方や宮古・八重山久米島、大島(現鹿児島県奄美大島)など諸島からの船が出入りし、賑いをみせた琉球の主要な港であった。当時の泊港には諸島に対する事務を扱う公館(泊御殿)や貢物を納める公倉(大島倉)が置かれていた(「球陽」英祖王七年条、「琉球国由来記」)。しかしその後の海外交易の発展に伴い首里と那覇を結ぶ長虹ちようこう堤の築造(一四五一年)、交易品を納める御物おものグスクの築城(一五世紀中期)など、那覇港が王国の表玄関として整備されたことにより、泊港は那覇港の補完的な役割を担い琉球国内運搬船の係留地になっていったと思われる。とくに近世期には琉球国内および奄美諸島(現鹿児島県)に漂着した中国人や朝鮮人は泊港に回漕される例となった。王府は港付近に木屋(泊御蔵敷)を設けて漂着民を警護し、本国に送還した。また漂着人に死者が出た場合は、泊港北岸近くにある聖現せいげん寺前の松原に埋葬した(琉球産業制度資料、「中山世譜」乾隆五〇年条)

一九世紀に入ってイギリス、フランス、アメリカなど欧米諸国の艦船が来航するようになると、王府は薩摩鹿児島藩の在番奉行所など主要施設が集中する那覇へは入港させず、漂着民の例にならい泊港沖を投錨地と定めたため、泊港はフランス人宣教師やペリー提督一行など多くの外国人の上陸地となっていった(評定所文書、「ペリー艦隊日本遠征記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の泊港の言及

【那覇[市]】より

…市の中心部はかつて南の国場(こくば)川と北の安里(あさと)川に挟まれた島で浮島とも呼ばれていたが,両川の三角州が発達し,埋立ても進んで現在ではその面影はない。那覇は国場川河口にあって琉球王朝時代から首都首里の外港として栄えた那覇港と,安里川河口にあって離島航路の船の停泊地であった泊港の港町から発展した。1879年沖縄県が設置されて県庁所在地となり,政治,経済,文化,交通の中心は首里から那覇へ移動した。…

※「泊港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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