日本歴史地名大系 「泊港」の解説
泊港
とまりこう
〔古琉球期・近世〕
王都首里の至近にあって交通の便に恵まれた泊港は、一三世紀から一四世紀にかけては国頭地方や宮古・八重山・久米島、大島(現鹿児島県奄美大島)など諸島からの船が出入りし、賑いをみせた琉球の主要な港であった。当時の泊港には諸島に対する事務を扱う公館(泊御殿)や貢物を納める公倉(大島倉)が置かれていた(「球陽」英祖王七年条、「琉球国由来記」)。しかしその後の海外交易の発展に伴い首里と那覇を結ぶ
一九世紀に入ってイギリス、フランス、アメリカなど欧米諸国の艦船が来航するようになると、王府は薩摩鹿児島藩の在番奉行所など主要施設が集中する那覇へは入港させず、漂着民の例にならい泊港沖を投錨地と定めたため、泊港はフランス人宣教師やペリー提督一行など多くの外国人の上陸地となっていった(評定所文書、「ペリー艦隊日本遠征記」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報