日本歴史地名大系 「津和野城跡」の解説
津和野城跡
つわのじようあと
〔吉見氏時代〕
史料とするには疑問が多いが吉見隆信覚書(下瀬家文書)によれば、二度目の蒙古襲来後の弘安五年(一二八二)に鎌倉幕府から西石見の海岸防備を命じられた吉見頼行が、能登から海路石見国に至り、まず
天文二〇年(一五五一)九月に陶隆房(晴賢)が大内義隆を倒し、大内義長を擁立して実権を掌握すると、吉見正頼は夫人が義隆の姉であることもあって、陶晴賢・大内義長と対決する道を選んだ。そして同二二年五月には下瀬左京助を安芸
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報