歌舞伎(かぶき)劇の一様式。明治時代9世市川団十郎が始めた史実第一主義の時代物、およびその演出法をいう。団十郎は、江戸時代の時代狂言が歴史を題材としながら脚本や演出に時代錯誤の点が多いのに不満を抱き、明治政府になって史劇脚色への干渉がなくなり、むしろ史実尊重に傾いたのを機会に、革新運動を進めた。具体化の最初は1869年(明治2)の河竹黙阿弥(もくあみ)作『桃山譚(ももやまものがたり)』(地震加藤)で、この試みは高尚趣味の新しい観客および興行師12世守田勘弥(かんや)らの支持を受け、学者たちも同調して脚本や風俗の考証を分担、黙阿弥作の『真田幸村(さなだゆきむら)』『酒井の太鼓』『児島高徳(こじまたかのり)』『仲光(なかみつ)』『高時』などの作でこれを推進し、演劇改良運動の一環になった。89年の歌舞伎座開場以後は福地桜痴(おうち)と協力、その作『出世景清』『春日局(かすがのつぼね)』などを上演、また在来の時代物にも扮装(ふんそう)や演技に活歴的なくふうを試みている。「活歴」の語は、『二張弓千種重藤(にちょうのゆみちぐさのしげとう)』(1878)上演のとき、仮名垣魯文(かながきろぶん)が「芝居ではなくて活(い)きた歴史」と冷笑的によんだのが普及したもの。その語のとおり、史実に即しすぎ演劇的には無味乾燥だったため、一般観客には歓迎されず、したがって団十郎も晩年はその上演を控えている。しかし、これが歌舞伎に一種の自然主義を注入、近代的な史劇発生の基礎になった点で、その意義は少なくない。
[松井俊諭]
…容貌,風姿,音調,弁舌にすぐれ,立役,女方,敵役のいずれにもよく,時代,世話,所作事の何を演じても卓越した技芸を示した。演劇改良運動に意欲を燃やし,その中心となって活躍,忠実に史実を写そうと志す〈活歴(かつれき)〉と呼ぶ史劇を創始したことは演劇史上に特筆される。また,登場人物の性格・心理を研究し,これを内攻的に表現する〈肚芸(はらげい)〉という演技術を開拓するなど,近代歌舞伎に与えた影響はきわめて大きい。…
…《曾我物語》その他の作に拠り,これより前の1874年同作者の《蝶千鳥曾我実伝(ちようちどりそがのじつでん)》を改作したもの。いわゆる明治の活歴スタイルの曾我狂言で,団十郎が史実を重んじ討入りの扮装を,腹巻に小手脛当(こてすねあて),武者草鞋(むしやわらんじ)としたのに対し,中村宗十郎は従来どおり素足に袴の股立を取っただけのスタイルだったのでチグハグな印象を与え,〈火事見舞に水見舞〉と評されたのは有名だが,両者とも自説を押し通し,数日間そのままで演じた。仲介者が宗十郎を説得,1日だけ団十郎に調子を合わせたが翌日から休場した。…
※「活歴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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