浅井神社
あさいじんじや
[現在地名]福岡町赤丸
清水山の東麓、鞍馬寺集落の林中に鎮座。祭神は八河江比売神(社伝)、あるいは高皇産霊神(神社明細帳)、速秋津姫命(文政七年「社号帳」黒田家文書)。旧郷社。「延喜式」神名帳の礪波郡「浅井神社」に比定する説がある。貞享二年寺社由緒書上によれば、元正天皇の時代、小矢部川が流入していたあこが淵で神像を得て当地にこれを祀り、養老元年(七一七)には七堂伽藍が建立されたという。
浅井神社
あさいじんじや
[現在地名]高岡市石堤
金山の山麓に鎮座。旧郷社。祭神は水波能女命・天照大御神・菊理媛命・少彦名命・天満天神。「延喜式」神名帳に載る礪波郡一三座のうち同名社に比定されるが、近世以来福岡町赤丸に鎮座する同名社(赤丸社)との間で論社になっている。天平宝字三年(七五九)一一月一四日の礪波郡石粟村官施入田地図(奈良国立博物館蔵)に「浅井神一段」と神田の記載があり、古来有力神であったことが知られる。
浅井神社
あさいじんじや
[現在地名]稲沢市浅井町 宮西
祭神は小子部連
鉤。旧郷社。祭礼日一〇月一日。境内に八幡社・天神社・白山社・秋葉社がある。境内三一九坪。
鉤は天武天皇元年の壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)方で活躍した尾張の国司。「延喜式」神名帳に「浅井神社」とみえるから平安初期には創建され、尾張国神名帳に「従三位上浅井天神」(貞治本)や「正四位上浅井天神」(元亀本)とみえる。戦国期末に荒廃し、社頭のみ天池村に移したので(尾張国地名考)、江戸期には旧地が不明となった(本国神名帳集説)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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