デジタル大辞泉 「浅茅原」の意味・読み・例文・類語 あさじ‐はら〔あさぢ‐〕【浅×茅原】 [名]「あさじがはら」に同じ。「―かり標しめさして」〈万・二七五五〉[枕]1 「小野をの」「茅生ちふ」にかかる。「―小野に標結ひ」〈万・二四六六〉「―茅生に足蹈ふみ」〈万・三〇五七〉2 「茅」は古く「つ」とも言ったところから「つばらつばら」にかかる。「―つばらつばらにもの思へば」〈万・三三三〉 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「浅茅原」の意味・読み・例文・類語 あさじ‐はらあさぢ‥【浅茅原】 [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 古代では序詞の中の用法が多い ) チガヤがまばらに生えている原。浅茅が原。[初出の実例]「阿佐遅波良(アサヂハラ) 小谷を過ぎて 百伝(ももづた)ふ 鐸(ぬて)ゆらくも 置目(おきめ)来らしも」(出典:古事記(712)下・歌謡)「山高み夕日隠りぬ浅茅原後(のち)見むために標(しめ)結はましを」(出典:万葉集(8C後)七・一三四二)[ 2 ] 枕 ( 「茅」は古く「つ」ともいったところから ) 「つはら(茅原)」と類音の「つばらつばら」にかかる。[初出の実例]「浅茅原つばらつばらにもの思へばふりにし郷(さと)し思ほゆるかも」(出典:万葉集(8C後)三・三三三)浅茅原の補助注記「古事記」の浅茅原を地名とする説がある。[ 二 ]は「茅生(ちふ)」「小野(をの)」にかかるともいう。「万葉‐三〇六三」の「浅茅原小野に標結ふ空言も逢はむと聞こせ恋のなぐさに」など。 あさじ‐が‐はらあさぢ‥【浅茅原】 [ 一 ] 東京都台東区橋場付近にあった野。奥州街道が通り、隅田川の渡船場でもあった。梅若丸の母妙亀尼の塚がある。[ 二 ] 奈良市東部、奈良公園春日大社、一の鳥居の南側の丘。歌枕。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「浅茅原」の解説 浅茅原あさじがはら 東京都:台東区旧浅草区地区橋場町在方分浅茅原浅草付近にあった歌に詠込まれた地名。鬼女の住む一つ家があり、旅人を泊めては殺していたが、娘がそれを制止するため旅人の身代りになろうとしたところ、観音が憐れんで娘を救ったという霊験譚で知られる。文明一八年(一四八六)聖護院道興が浅草寺参詣後「あさぢが原といへる所」で歌を詠んでおり(廻国雑記)、一五世紀にはすでに知られていたらしい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報