デジタル大辞泉 「浮世小路」の意味・読み・例文・類語 うきよ‐こうじ〔‐こうぢ〕【浮世▽小路】 裏長屋など、浮世の縮図のような小路。また、世間、世の中の意にもたとえていう。→浮世小路うきよしょうじ「―の何軒目に狭苦しく暮らした時とは」〈漱石・草枕〉 うきよ‐しょうじ〔‐セウぢ〕【浮世小路】 近世、大坂の高麗橋筋と今橋筋の中間にあった小路。出合い宿が多くあった。江戸の日本橋室町にあった小路。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「浮世小路」の意味・読み・例文・類語 うきよ‐こうじ‥こうぢ【浮世小路】 [ 1 ] 〘 名詞 〙 種々の商店などがあり、浮世の縮図のような小路。また、人の世を小路にたとえた語。[初出の実例]「かづき着てうき世こうじをしゃんなしゃな」(出典:雑俳・蓬莱山(1709))[ 2 ] ⇒うきよしょうじ(浮世小路) うきよ‐しょうじ‥セウぢ【浮世小路】 [ 一 ] 近世、大坂の高麗橋筋と今橋筋の中間、東西の通りをいった。元祿(一六八八‐一七〇四)頃、奉公人の出合い宿や色里通いの駕籠屋(かごや)が多かった。現在の大阪市中央区今橋二丁目・高麗橋二丁目のあたり。[ 二 ] 江戸、日本橋室町の横町の俗称。食べ物店が多かった。〔随筆・骨董集(1813)〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「浮世小路」の解説 浮世小路うきよこうじ 大阪府:大阪市東区浮世小路[現在地名]東区今橋二丁目・高麗橋二丁目今橋(いまばし)一―二丁目の裏尻、高麗橋(こうらいばし)一―二丁目の裏尻の小路をいう。「天保町鑑」に町異名として「今橋南の小路東ぼりより西へ」とある。大店の立並ぶ表通りに対し、その裏筋にあたるが、一筋の町に土蔵が一一三もあって、浪花の希有の一つに数えられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報