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高麗橋(読み)こうらいばし

百科事典マイペディアの解説

高麗橋【こうらいばし】

大阪市中央区を南流する東横堀(ひがしよこぼり)川に架かる橋。高麗橋1丁目と高麗橋詰町を結ぶ。東横堀川が1594年豊臣秀吉の惣構建設に伴って開削されたとされ,関ヶ原の戦では惣構の口の一つであったこと(《当代記》),1604年鋳造の擬宝珠が現存することなどから,近世初期の架橋とする説が有力。江戸時代は大坂三郷北組の高麗橋1丁目と内両替(うちりょうがえ)町に架かり,幕府の費用で改築・修理する公儀橋に指定されていた。高麗橋通は豪商三井家をはじめとする呉服,両替商などが並ぶ繁華な通りで,当橋は大坂から他所・他国への里程を測る起点とされた。西詰に高札場,東詰に櫓屋敷があった。1870年大阪初の鉄橋に架け換えられ錦絵にもなった。東詰に1876年から1922年まで西日本主要道路の里程元標が設置された。1929年コンクリートアーチ橋に架け換えられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうらいばし【高麗橋】

大阪市東区,南区を北から南へ貫流する東横堀川に架かる橋。東区の高麗橋詰町と高麗橋1丁目とを東西に結ぶ。創架年代は未詳であるが,東横堀川は豊臣秀吉の大坂城下町建設にともない,1585年(天正13)に開削された運河であること,1615年(元和1)大坂夏の陣のとき,安藤重長が戦利品として持ち帰ったという〈慶長九年甲辰八月吉日,御大工奉行吉久〉と刻銘の擬宝珠が現存し,高麗橋またはその前身の橋の擬宝珠と推定されていることなどから,近世初頭とする説が有力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高麗橋
こうらいばし

大阪市中央区、東横堀川に架かる橋。名前の由来は朝鮮からの使者を迎えるために架けたとか、橋の東側に難波高麗館があったからだとかいう。大坂城と船場(せんば)を結ぶもっとも重要な橋で、幕府が架橋した公儀橋の一つ。橋の西詰に高札場があり、東詰には里程元標があった。高麗橋通りには両替商や呉服商が多く、江戸時代、大坂の商業の中心であった。1870年(明治3)本木昌造(もときしょうぞう)の設計で、大阪で最初の鉄橋が架けられた。[安井 司]

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世界大百科事典内の高麗橋の言及

【のれん分け(暖簾分け)】より

…また主家から暖簾を分けてもらって営業する場合,同じ商売が許されない場合もあるが,主家の営業の下請など補完部門の役割をもつことがある。大坂の高麗橋1丁目には,呉服営業の越後屋のほかに同じ屋号,暖簾印をもつ糸店,鼈甲店,紙店,紅白粉店,塗道具店,鏡店などがあったという。また借家人のなかには縫仕立屋などの職人が居をかまえていた。…

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