日本大百科全書(ニッポニカ) 「浮世絵の彫師と摺師」の意味・わかりやすい解説
浮世絵の彫師と摺師
うきよえのほりしとすりし
江戸200余年大いに栄えた浮世絵も、明治維新後はしだいに変わりゆく江戸文化とともに、その活力を失っていった。この間、輩出した春信(はるのぶ)、歌麿(うたまろ)、北斎(ほくさい)、広重(ひろしげ)といった浮世絵界を代表する絵師(えし)たちは、全世界にその名を高く評価されるようになった。しかし、彼らのように名を残した者のほかに、いかに多くの浮世絵師が存在したことか。また、絵師たちを支えた彫師(ほりし)や摺師(すりし)など印刷関係に携わった多くの無名職人たちがいたことを忘れることはできない。
浮世絵版画は、絵師、彫師、摺師という技術屋と、企画から制作・販売などを統括する版元との共同による総合芸術である。概略ではあるが、絵師から彫師、摺師を経て版画が完成するまでの技法の過程について述べてみよう。
浮世絵版画の企画を絵師に依頼するのは、一般的には版元によると思われるが、絵師が自己の創作意欲により自発的に版元に売り込むこともあったと考えられる。版元によって依頼され、完成までの種々の問題点は、そのつど臨機応変に処理されたであろう。版元から依頼を受けた絵師は、薄美濃紙(みのがみ)や雁皮紙(がんぴし)などのような薄く強い紙にまず版下絵を描く。この版下絵は版元のチェックを得て彫師に回される。版下絵を受け取った彫師は、板屋により精製された板(おもに桜の板目)に、版下絵を裏返しにして糊(のり)付けすることから仕事が始められる。彼らはあらゆる技量を駆使し、1枚の墨版(すみはん)〔主版(おもはん)〕を仕上げるのであるが、墨版は最後に「見当(けんとう)」を彫り込んで完了する。その後、校合摺りがとられ、絵師が朱墨によって「色さし」を行い、ふたたび彫師に戻って次の色版の彫りがなされ、1枚の版画の版木一組が完成する。
次に、こうして版木一組が摺師に渡されると、その用途に応じた多くの道具が準備され、摺師の技巧により複雑な工程をたどって1枚の美しい浮世絵版画ができあがる。こうして完成された版画作品のうえで、絵師の領域はどこにあるのか。絵師の意想は、版下絵が彫師によって板に糊付けされたことによって終わり、それ以上に口を差し挟むことはなかったと思われるが、それは習慣上、絵師と、彫師・摺師とはつねに不可分の関係をなしていたこと、つまり両者は作品をつくるにあたって意想に熟達していたのである。
浮世絵版画においては、作品中に版元と絵師名は記されているが、彫師や摺師の名はほとんど銘記されていない。彫り、摺りに携わる技術者の技巧はつねに絵師の名声の陰に隠れて、ある特殊な少数の者以外は作品によって喧伝(けんでん)されるようなことはなかった。それでも彼らは、技術的良心とその誇りとをもって仕事に打ち込んだ。1枚の版画が完成するうえに果たした役割としては大差ないと思われるのだが、脚光を浴びる絵師に対して、彫師、摺師たちはまったく表面に現れることがなかった。
しかし浮世絵を支えた陰の主役、彫師、摺師にもっと照明をあてることなくして、浮世絵のすべてを語ることはできない。隅田川(すみだがわ)畔の両国回向(えこう)院の境内にはいまも「無縁法界塔」が建っているが、石塔には「にしきゑ職人中」とあり、彼らを象徴するかのようである。
[佐藤光信]