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海量 かいりょう

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美術人名辞典の解説

海量

真宗の僧侶。近江国犬上郡生。彦根藩主井伊直中が藩学振興を図った際、命をうけ諸藩の教学を視察し、熊本藩校時習館を手本として藩校弘道館をつくった。賀茂真淵門人で和歌を能くし、また儒学・国学にも通じた。著書に『国意考弁々』、歌集『ひとよはな』等がある。文化14年(1817)寂、85才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

海量 かいりょう

1733-1817 江戸時代中期-後期の僧。
享保(きょうほう)18年8月14日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の浄土真宗本願寺派覚勝寺の住持職を甥(おい)にゆずって全国各地を行脚(あんぎゃ)。江戸で賀茂真淵に和歌をまなび,彦根に草庵をむすぶ。寛政年間に彦根藩主伊井直中の命で諸藩の学制をしらべ,藩校弘道館の創設につくした。文化14年11月21日死去。85歳。近江出身。俗姓は佐々木字(あざな)は宝器,奉張。号は寒巌窟。著作に「続万葉異本考」「ひとよはな」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

海量

没年:文化4.11.21(1807.12.19)
生年:享保8(1723)
江戸時代の漢学者。字を宝器,号を奉張という。近江国開出今村(彦根市)覚勝寺に生まれる。延享1(1744)年,江戸に出て賀茂真淵の門下となり和歌を学ぶ。明和2(1765)年,彦根城南の青波村里根に庵を結んで住む。漢学を研究し,特に音韻に精通する。彦根藩主井伊直中の命を受けて諸藩の学制などを視察し,藩学の興隆と人材養成に貢献した。彦根藩の歌人小原君雄,村田泰足,松居泰樹らとも深く交流する。<参考文献>井上哲雄『真宗本派学僧逸伝』

(岡村喜史)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かいりょう【海量】

1733‐1817(享保18‐文化14)
彦根藩の学僧。はじめ近江の浄土真宗寺院覚勝寺の住職。のち草庵に住み,仏典のほか儒学や国学を研究し,毎年2回諸国を行脚(あんぎや)して過ごした。寛政年間(1789‐1801)藩主の命で諸藩の学制を調査し,その結果が熊本の時習館を手本とした彦根藩校の稽古館の設立となった。海量はつねに粗衣粗食の生活を送り,玄米を常食として行脚の途中で糧が尽きても屈することなく,また麻衣(まい)をまとって余分の衣服をもたず,さながら高潔な禅僧のごとく無欲恬淡な生涯を送った。

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