海量(読み)かいりょう

精選版 日本国語大辞典 「海量」の意味・読み・例文・類語

かい‐りょう‥リャウ【海量】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. ( 「量」は度量、すなわち、人を受け入れる性質の意 ) 海のように大きく広い度量。
      1. [初出の実例]「願はくは、執事の海量(カイリャウ)(〈注〉キノ ヒロイ)これを許すことを容(い)れ給へ」(出典読本・英草紙(1749)五)
    2. 酒が好きでたくさん飲める人。酒飲み。上戸。
      1. [初出の実例]「九媽は原(もと)海量(カイリャウ)(〈注〉ジャウゴ)なれば、酒を飲て陪伴し」(出典:通俗赤縄奇縁(1761)三)
  2. [ 2 ] 江戸中期の真宗の僧。歌人近江の人。賀茂真淵に学び、彦根藩の藩学興隆に尽くす。著「一夜花」「国意考弁々」など。享保一八~文化一四年(一七三三‐一八一七

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改訂新版 世界大百科事典 「海量」の意味・わかりやすい解説

海量 (かいりょう)
生没年:1733-1817(享保18-文化14)

彦根藩の学僧。はじめ近江の浄土真宗寺院覚勝寺の住職。のち草庵に住み,仏典のほか儒学や国学を研究し,毎年2回諸国を行脚(あんぎや)して過ごした。寛政年間(1789-1801)藩主の命で諸藩の学制を調査し,その結果が熊本の時習館を手本とした彦根藩校の稽古館の設立となった。海量はつねに粗衣粗食の生活を送り,玄米常食として行脚の途中で糧が尽きても屈することなく,また麻衣(まい)をまとって余分の衣服をもたず,さながら高潔な禅僧のごとく無欲恬淡な生涯を送った。また賀茂真淵に和歌を学んで秀で,近世歌学の発達に大きな足跡を残した。著書に《国意考弁々》《一夜花》などがある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海量」の解説

海量 かいりょう

1733-1817 江戸時代中期-後期の僧。
享保(きょうほう)18年8月14日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の浄土真宗本願寺派覚勝寺の住持職を甥(おい)にゆずって全国各地を行脚(あんぎゃ)。江戸で賀茂真淵に和歌をまなび,彦根に草庵をむすぶ。寛政年間に彦根藩主伊井直中の命で諸藩の学制をしらべ,藩校弘道館の創設につくした。文化14年11月21日死去。85歳。近江出身。俗姓は佐々木。字(あざな)は宝器,奉張。号は寒巌窟。著作に「続万葉異本考」「ひとよはな」。

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朝日日本歴史人物事典 「海量」の解説

海量

没年:文化4.11.21(1807.12.19)
生年:享保8(1723)
江戸時代の漢学者。字を宝器,号を奉張という。近江国開出今村(彦根市)覚勝寺に生まれる。延享1(1744)年,江戸に出て賀茂真淵の門下となり和歌を学ぶ。明和2(1765)年,彦根城南の青波村里根に庵を結んで住む。漢学を研究し,特に音韻に精通する。彦根藩主井伊直中の命を受けて諸藩の学制などを視察し,藩学の興隆と人材養成に貢献した。彦根藩の歌人小原君雄,村田泰足,松居泰樹らとも深く交流する。<参考文献>井上哲雄『真宗本派学僧逸伝』

(岡村喜史)

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普及版 字通 「海量」の読み・字形・画数・意味

【海量】かいりよう

大酒量。

字通「海」の項目を見る

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367日誕生日大事典 「海量」の解説

海量 (かいりょう)

生年月日:1733年8月14日
江戸時代中期;後期の漢学者
1817年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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