沙門像所現舎利於法華寺」と記す。隅院・隅寺とは、光明皇后の皇后宮(のちの法華寺)の隅院、隅寺という意味であったらしい。海龍王寺の寺号は、保延六年(一一四〇)の「七大寺巡礼私記」に初めて現れる。護国寺本「諸寺縁起集」には次のように記す。
平安時代は興福寺末であったらしく、同寺の学僧が別当に任じられている(「貞信公記」承平元年三月一五日条、「小右記」長和五年五月一六日条など)。鎌倉時代に再興され、諸堂の完備した立派な寺であったことは、延文元年(一三五六)の南都海龍王寺寺中伽藍坊室之絵図(西大寺蔵)によってわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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