コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

添田唖蝉坊 そえだあぜんぼう

6件 の用語解説(添田唖蝉坊の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう

[生]1872.11.25. 神奈川,大磯
[没]1944.2.8.
演歌師。本名添田平吉。 1887年自由党壮士の演歌に共鳴して,久田鬼石,殿江酔郷らと「青年倶楽部」を結成,演歌師となる。主として浅草で活躍し,1905年日露戦争を背景に『ラッパ節』がヒット,さらに『ストトン節』『枯すすき』などで社会批判と庶民の心情をうたい,「流行歌の祖」ともいわれる。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

そえだ‐あぜんぼう〔そへだアゼンバウ〕【添田唖蝉坊】

[1872~1944]演歌師。神奈川の生まれ。本名、平吉。明治から大正にかけて、「ノンキ節」「ラッパ節」など世相風刺の演歌を自作自演し、人気を博した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

添田唖蝉坊【そえだあぜんぼう】

演歌師。神奈川県出身。本名平吉。演歌中興の祖。1890年東京の街頭で壮士演歌を聞いて青年倶楽部に入り,演歌師となる。日露戦争頃より社会主義を信条とし,政治家,特権階級や社会の批判,風刺を取り入れた歌を作り,日本中を演歌して回る。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

添田唖蝉坊 そえだ-あぜんぼう

1872-1944 明治-大正時代の演歌師。
明治5年11月25日生まれ。18歳のとき壮士演歌に感激して演歌師となる。堺利彦(さかい-としひこ)らとまじわり,社会風俗を風刺した「ラッパ節」「ああ金の世や」「ノンキ節」などをつくった。昭和19年2月8日死去。73歳。神奈川県出身。本名は平吉。別号に不知火(しらぬい)山人。著作に「唖蝉坊流生記」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

添田唖蝉坊

没年:昭和19.2.8(1944)
生年:明治5.11.25(1872.12.25)
明治大正期の演歌師。名は平吉。神奈川県大磯の生まれ。明治23(1890)年横須賀で聞いた壮士歌にひかれて演歌の世界へ入り,三浦半島から房総周辺を流して歩いた。25年東京の壮士演歌本部に所属して社会改良を訴える。日露戦争の際は不知火山人の名で「ロシヤコイ」「広瀬中佐」を作って敵愾心をあおる。40年以降は社会主義に傾倒し,唖蝉坊の名で「ラッパ節」「あゝ金の世」などを作った。演歌には伴奏楽器がまだない時代である。その後も社会風刺や階級社会の矛盾をつく歌で民衆の心をつかんだが,厳しい取り締まりのなか,その歌は広まらなかった。そして世相人心の推移とともに演歌の主流から外れていった。<著作>『唖蝉坊流生記』

(倉田喜弘)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう
(1872―1944)

演歌師。本名平吉。神奈川県大磯(おおいそ)に生まれる。14歳で上京して叔父の家に寄宿、船員を志したが長続きせず、横須賀で日雇い人夫などをしているうち、壮士の街頭演歌を聞き心酔、東京・新富町にあった壮士演歌の本部に入る。18歳のことで、以来、演歌師として盛名をはせ、明治後期から大正にかけて『ラッパ節』『マックロ節』『ノンキ節』『デモクラシー節』など数多くの演歌の作詞を行っている。堺利彦(さかいとしひこ)を知って社会主義運動に入り、その勧めでつくった『社会党ラッパ節』は有名だが、彼の資質はむしろ非政治的といってよく、「過去の演歌はあまりに壮士的概念むき出しの“放声”に過ぎなかった」という述懐のとおり、風俗世相を風刺、慷慨(こうがい)した『むらさき節』や晩年の『金々節』などによくその本領を発揮した。昭和に入ってからは演歌師を廃業、四国遍路や九州一円を巡礼、9年近い放浪の生活を送る。早世した妻タケとの間にできた1子が添田知道(ともみち)である。[安田 武]
『『添田唖蝉坊・知道著作集』五巻・別巻一(1982・刀水書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

添田唖蝉坊の関連キーワード神奈川県大和市桜森神奈川県大和市渋谷神奈川県大和市草柳神奈川県大和市代官神奈川県大和市中央神奈川県大和市鶴間神奈川県大和市深見神奈川県大和市福田神奈川県大和市柳橋神奈川県大和市林間

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone

添田唖蝉坊の関連情報