添田唖蝉坊(読み)ソエダアゼンボウ

デジタル大辞泉 「添田唖蝉坊」の意味・読み・例文・類語

そえだ‐あぜんぼう〔そへだアゼンバウ〕【添田唖蝉坊】

[1872~1944]演歌師神奈川の生まれ。本名、平吉。明治から大正にかけて、「ノンキ節」「ラッパ節」など世相風刺の演歌自作自演し、人気を博した。

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精選版 日本国語大辞典 「添田唖蝉坊」の意味・読み・例文・類語

そえだ‐あぜんぼう【添田唖蝉坊】

演歌の作詞作曲家、歌手。神奈川県出身。「ラッパ節」「ああ金の世」「ノンキ節」など多くの演歌を流行させた。明治五~昭和一八年(一八七二‐一九四三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう
(1872―1944)

演歌師。本名平吉。神奈川県大磯(おおいそ)に生まれる。14歳で上京して叔父の家に寄宿船員を志したが長続きせず、横須賀で日雇い人夫などをしているうち、壮士の街頭演歌を聞き心酔、東京・新富町にあった壮士演歌の本部に入る。18歳のことで、以来、演歌師として盛名をはせ、明治後期から大正にかけて『ラッパ節』『マックロ節』『ノンキ節』『デモクラシー節』など数多くの演歌の作詞を行っている。堺利彦(さかいとしひこ)を知って社会主義運動に入り、その勧めでつくった『社会党ラッパ節』は有名だが、彼の資質はむしろ非政治的といってよく、「過去の演歌はあまりに壮士的概念むき出しの“放声”に過ぎなかった」という述懐のとおり、風俗世相を風刺、慷慨(こうがい)した『むらさき節』や晩年の『金々節』などによくその本領を発揮した。昭和に入ってからは演歌師を廃業、四国遍路や九州一円を巡礼、9年近い放浪の生活を送る。早世した妻タケとの間にできた1子が添田知道(ともみち)である。

安田 武]

『『添田唖蝉坊・知道著作集』五巻・別巻一(1982・刀水書房)』

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朝日日本歴史人物事典 「添田唖蝉坊」の解説

添田唖蝉坊

没年:昭和19.2.8(1944)
生年:明治5.11.25(1872.12.25)
明治大正期の演歌師。名は平吉。神奈川県大磯の生まれ。明治23(1890)年横須賀で聞いた壮士歌にひかれて演歌の世界へ入り,三浦半島から房総周辺を流して歩いた。25年東京の壮士演歌本部に所属して社会改良を訴える。日露戦争の際は不知火山人の名で「ロシヤコイ」「広瀬中佐」を作って敵愾心をあおる。40年以降は社会主義に傾倒し,唖蝉坊の名で「ラッパ節」「あゝ金の世」などを作った。演歌には伴奏楽器がまだない時代である。その後も社会風刺や階級社会の矛盾をつく歌で民衆の心をつかんだが,厳しい取り締まりのなか,その歌は広まらなかった。そして世相人心の推移とともに演歌の主流から外れていった。<著作>『唖蝉坊流生記』

(倉田喜弘)

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百科事典マイペディア 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊【そえだあぜんぼう】

演歌師。神奈川県出身。本名平吉。演歌中興の祖。1890年東京の街頭で壮士演歌を聞いて青年倶楽部に入り,演歌師となる。日露戦争頃より社会主義を信条とし,政治家,特権階級や社会の批判,風刺を取り入れた歌を作り,日本中を演歌して回る。1918年青年親交会設立,機関紙《演歌》(のち《民衆娯楽》)刊行。代表作は《ストライキ節》《ラッパ節》《ノンキ節》など多数。著書は《唖蝉坊流生記》など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう

[生]1872.11.25. 神奈川,大磯
[没]1944.2.8.
演歌師。本名添田平吉。 1887年自由党壮士の演歌に共鳴して,久田鬼石,殿江酔郷らと「青年倶楽部」を結成,演歌師となる。主として浅草で活躍し,1905年日露戦争を背景に『ラッパ節』がヒット,さらに『ストトン節』『枯すすき』などで社会批判と庶民の心情をうたい,「流行歌の祖」ともいわれる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「添田唖蝉坊」の解説

添田唖蝉坊 そえだ-あぜんぼう

1872-1944 明治-大正時代の演歌師。
明治5年11月25日生まれ。18歳のとき壮士演歌に感激して演歌師となる。堺利彦(さかい-としひこ)らとまじわり,社会風俗を風刺した「ラッパ節」「ああ金の世や」「ノンキ節」などをつくった。昭和19年2月8日死去。73歳。神奈川県出身。本名は平吉。別号に不知火(しらぬい)山人。著作に「唖蝉坊流生記」。

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