添田唖蝉坊(読み)ソエダアゼンボウ

デジタル大辞泉 「添田唖蝉坊」の意味・読み・例文・類語

そえだ‐あぜんぼう〔そへだアゼンバウ〕【添田唖蝉坊】

[1872~1944]演歌師神奈川の生まれ。本名、平吉。明治から大正にかけて、「ノンキ節」「ラッパ節」など世相風刺演歌自作自演し、人気を博した。

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精選版 日本国語大辞典 「添田唖蝉坊」の意味・読み・例文・類語

そえだ‐あぜんぼう【添田唖蝉坊】

  1. 演歌の作詞作曲家、歌手。神奈川県出身。「ラッパ節」「ああ金の世」「ノンキ節」など多くの演歌を流行させた。明治五~昭和一八年(一八七二‐一九四三

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「添田唖蝉坊」の解説

添田 唖蝉坊
ソエダ アゼンボウ


職業
壮士演歌師 詩人

本名
添田 平吉(ソエダ ヘイキチ)

別名
筆名=不知山人,俳号=凡人

生年月日
明治5年 11月25日

出生地
足柄県 大磯(神奈川県 大磯町)

経歴
明治末期、「ストライキ節」や「あゝ金の世」など壮士節や大衆演歌を数多く自作し、街頭で歌い、金権政治、労働貴族など時代を痛烈に批判して拍手喝采を浴びる。大正7年演歌組合・青年親交会を設立、会長となり、機関紙「演歌」を発行して演歌の刷新と民衆の啓蒙に尽力した。また社会党評議員を務め、第1回普通選挙にも立候補。大震災後は仙人生活、遍路生活を送った。代表作に「ラッパ節」「ストトン節」「枯すすき」「パイノパイパイ(東京節)」「ノンキ節」など。著書に「添田唖蝉坊新流行歌集」「日本民謡全集」「浅草底流記」「流行歌・明治大正史」のほか、小説「狂ひ花」がある。昭和55年末、その歌が初めてLP「明治時代のしんがあーそんぐらいたー AZENBOの世界」の中に収められ、クラウンから発売された。

没年月日
昭和19年 2月8日 (1944年)

家族
長男=添田 知道(小説家)

伝記
老いらくの花大正アウトロー奇譚―わが夢はリバータリアン文人の素顔―緑風閣の一日添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)・知道(ともみち)―演歌二代風狂伝 小沢 昭一 著玉川 信明 著柳原 一日 著木村 聖哉 著(発行元 文芸春秋社会評論社講談社リブロポート ’06’06’04’87発行)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう
(1872―1944)

演歌師。本名平吉。神奈川県大磯(おおいそ)に生まれる。14歳で上京して叔父の家に寄宿、船員を志したが長続きせず、横須賀で日雇い人夫などをしているうち、壮士の街頭演歌を聞き心酔、東京・新富町にあった壮士演歌の本部に入る。18歳のことで、以来、演歌師として盛名をはせ、明治後期から大正にかけて『ラッパ節』『マックロ節』『ノンキ節』『デモクラシー節』など数多くの演歌の作詞を行っている。堺利彦(さかいとしひこ)を知って社会主義運動に入り、その勧めでつくった『社会党ラッパ節』は有名だが、彼の資質はむしろ非政治的といってよく、「過去の演歌はあまりに壮士的概念むき出しの“放声”に過ぎなかった」という述懐のとおり、風俗世相を風刺、慷慨(こうがい)した『むらさき節』や晩年の『金々節』などによくその本領を発揮した。昭和に入ってからは演歌師を廃業、四国遍路や九州一円を巡礼、9年近い放浪の生活を送る。早世した妻タケとの間にできた1子が添田知道(ともみち)である。

[安田 武]

『『添田唖蝉坊・知道著作集』五巻・別巻一(1982・刀水書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田啞蟬坊 (そえだあぜんぼう)
生没年:1872-1944(明治5-昭和19)

演歌師。本名平吉。神奈川県大磯の農家に,利兵衛・つなの次男として生まれた。1885年(明治18)上京して船員や労務者などをしていたが,90年街頭で壮士たちが歌う愛国調の演歌に感激して職業演歌師となった。日清戦争前後に,北陸をはじめ地方を巡演するなかから民謡調のメロディを自作にとりいれるようになり,99年に横江鉄石と共作した《ストライキ節》が最初のヒット作となった。日露戦争下に堺利彦から依頼されてつくった《ラッパ節》が戦後にかけて大流行となり,その新作をかさねるうちに社会主義を信条とするにいたり,《ああ金の世》《ああわからない》《増税節》などで大正初年にかけての大衆歌謡をリードした。痛烈な風刺を軽いユーモアの曲調にのせるところに啞蟬坊演歌の特色があり,社会主義者のフラクション抗争には超然としていたが,演壇からの話が警官によって〈弁士中止!〉となっても演歌で呼びかけ,〈啞蟬坊は2度の中止を食う〉と評判だった。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「添田唖蝉坊」の解説

添田唖蝉坊

没年:昭和19.2.8(1944)
生年:明治5.11.25(1872.12.25)
明治大正期の演歌師。名は平吉。神奈川県大磯の生まれ。明治23(1890)年横須賀で聞いた壮士歌にひかれて演歌の世界へ入り,三浦半島から房総周辺を流して歩いた。25年東京の壮士演歌本部に所属して社会改良を訴える。日露戦争の際は不知火山人の名で「ロシヤコイ」「広瀬中佐」を作って敵愾心をあおる。40年以降は社会主義に傾倒し,唖蝉坊の名で「ラッパ節」「あゝ金の世」などを作った。演歌には伴奏楽器がまだない時代である。その後も社会風刺や階級社会の矛盾をつく歌で民衆の心をつかんだが,厳しい取り締まりのなか,その歌は広まらなかった。そして世相人心の推移とともに演歌の主流から外れていった。<著作>『唖蝉坊流生記』

(倉田喜弘)

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百科事典マイペディア 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊【そえだあぜんぼう】

演歌師。神奈川県出身。本名平吉。演歌中興の祖。1890年東京の街頭で壮士演歌を聞いて青年倶楽部に入り,演歌師となる。日露戦争頃より社会主義を信条とし,政治家,特権階級や社会の批判,風刺を取り入れた歌を作り,日本中を演歌して回る。1918年青年親交会設立,機関紙《演歌》(のち《民衆娯楽》)刊行。代表作は《ストライキ節》《ラッパ節》《ノンキ節》など多数。著書は《唖蝉坊流生記》など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「添田唖蝉坊」の意味・わかりやすい解説

添田唖蝉坊
そえだあぜんぼう

[生]1872.11.25. 神奈川,大磯
[没]1944.2.8.
演歌師。本名添田平吉。 1887年自由党壮士の演歌に共鳴して,久田鬼石,殿江酔郷らと「青年倶楽部」を結成,演歌師となる。主として浅草で活躍し,1905年日露戦争を背景に『ラッパ節』がヒット,さらに『ストトン節』『枯すすき』などで社会批判と庶民の心情をうたい,「流行歌の祖」ともいわれる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「添田唖蝉坊」の解説

添田唖蝉坊 そえだ-あぜんぼう

1872-1944 明治-大正時代の演歌師。
明治5年11月25日生まれ。18歳のとき壮士演歌に感激して演歌師となる。堺利彦(さかい-としひこ)らとまじわり,社会風俗を風刺した「ラッパ節」「ああ金の世や」「ノンキ節」などをつくった。昭和19年2月8日死去。73歳。神奈川県出身。本名は平吉。別号に不知火(しらぬい)山人。著作に「唖蝉坊流生記」。

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367日誕生日大事典 「添田唖蝉坊」の解説

添田 唖蝉坊 (そえだ あぜんぼう)

生年月日:1872年11月25日
明治時代-昭和時代の演歌師;社会派詩人
1944年没

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世界大百科事典(旧版)内の添田唖蝉坊の言及

【流行歌】より

…流行歌をはやらせる根本的な力は,それぞれの時期における国民感情で,封建時代の落書(らくしよ)のような世相批判的なユーモア文学もあるとともに,時事や社会事件あるいは社会的流行や流行語などから受けた衝撃的な印象をうわさ話のように伝えるだけの素朴な歌詞をもつものもあり,そのほか歌詞とはとくに関係なく新奇な節や言葉をたのしむものがあって,流行歌の歌詞をすべて世相の反映であるとか,大衆の生活上の欲求の表現であるとかいえない実例が多い。 〈演歌〉という名称の,世相批判的な歌詞をもつ流行歌を作りつづけた添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)などはむしろ特殊な例で,多くの流行歌は単に場当りをねらったものであり,新奇さのゆえに流行し,古くなれば葬られていくという程度の,積極的に世相を批判するのではなく,消極的に世相の波にただよって大衆にとりいったものというほうが真相に近い。 流行歌の形態は伝達の方法に大きく作用される。…

※「添田唖蝉坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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