大正・昭和期の陸軍軍人。愛知県出身。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業後、歩兵第三六連隊中隊長として日露戦争に出征、戦傷を負う。その後山県有朋(やまがたありとも)元帥付副官となり、1907年(明治40)には軍事研究のためドイツに駐在した。ついでドイツ大使館付武官補佐官、オランダ公使館付武官を経て、帰国後は参謀本部第四部長、陸軍大学校長、第七師団長、台湾軍司令官、軍事参議官などの要職につき、1935年(昭和10)には、皇道派の巨頭真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)の後任教育総監に就任した。天皇機関説の支持者として知られ、統制派の頭目とみなされた彼の教育総監就任は、真崎を支持する皇道派青年将校をいたく刺激し、1936年二・二六事件で襲撃目標の1人とされる遠因となった。事件当日の早朝、私邸で反乱軍により射殺された。
[寺崎 修]
明治〜昭和期の陸軍軍人 陸軍大将;教育総監。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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1874.4.16~1936.2.26
明治~昭和前期の軍人。陸軍大将。愛知県出身。陸軍士官学校(8期)・陸軍大学校卒。日露戦争に出征。元帥山県有朋(やまがたありとも)付副官を務め,ドイツ駐在。オランダ公使館付武官・参謀本部第4部長・第7師団長・陸軍航空本部長・台湾軍司令官などを歴任。1935年(昭和10)真崎甚三郎の後をうけ教育総監に就任。天皇機関説を擁護する言動などにより,2・26事件で反乱部隊の襲撃をうけ殺害された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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