日本歴史地名大系 「湯河原温泉」の解説
湯河原温泉
ゆがわらおんせん
湯河原町の南部、県境
と詠まれる「土肥の河内に出づる湯」は当地に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
湯河原町の南部、県境
と詠まれる「土肥の河内に出づる湯」は当地に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川・静岡県境を流れる千歳川(ちとせがわ)およびこれと落合橋で合流する藤木川沿いにおもに湧出(ゆうしゅつ)する温泉。大半は神奈川県湯河原町に属するが、千歳川右岸の静岡県熱海市(あたみし)泉地区を含む。
『万葉集』に「足柄(あしがり)の刀比(とひ)の河内に出づる湯の」と詠まれ、古くから知られている。1817年(文化14)の温泉効能番付では箱根、熱海より上位に位置し、切り傷に効能があるとされた。当時は簡単な露天風呂(ぶろ)3か所、湯宿6軒であった。1880年(明治13)ころの浴客の年平均数は箱根の約10万、熱海の約3万5000に対して1700にも満たなかったが、1887年、東海道線が国府津(こうづ)まで、1895年に小田原―熱海間に人車鉄道(後に軽便鉄道)が通じ、さらに1934年(昭和9)丹那(たんな)トンネルが開通して東海道線が通じたことにより増加した。温暖な地で、多くの文学者や画家を引きつけ、日清・日露戦争および第二次世界大戦時に軍の転地療養所も置かれた。1923年(大正12)ころは源泉数18、湧出(ゆうしゅつ)量毎分406リットル、2002年(平成14)は源泉数101、湧出量毎分6837リットル、最高泉温90℃、平均泉温61.5℃、年間観光客数539万、うち日帰り客数448万、宿泊客数91万。古くからの温泉街である温泉場地区に万葉公園、美術館、周辺に梅園、ツバキとサクラの名所やミカン園、源頼朝(みなもとのよりとも)ゆかりの史跡などがある。
奥湯河原の広河原は1929年(昭和4)に温泉開発に成功して以来、奥座敷的温泉地、海岸部の門川(もんがわ)は1963年に開発されて海浜型温泉地として親しまれている。
湯河原の地名は、河床から温泉が自然湧出していたことに由来するが、明治以降の開発によって、温泉の水位が80メートル以上も河床下になり、現在はすべて動力揚湯である。泉質は温泉場地区が塩化物泉と単純温泉、広河原が硫酸塩泉、門川が塩化物泉で、いずれも無色透明無臭の火山性温泉である。
[大山正雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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