日本歴史地名大系 「湯郷」の解説
湯郷
ゆごう
現玉湯町東部に所在した国衙領。「出雲国風土記」の
これに関連して「忌部総社神宮寺根元録」は、杵築大社の神官で湯庄(郷)地頭であった中原(内蔵)孝元が文永八年九月に守護佐々木泰清により追放され、その跡を泰清の子頼清が与えられたと記している。文永八年段階に泰清の子たちですでに所領を譲られているのは長子の義重のみであるので、これをそのまま事実と考えることはできないが、本来湯郷を支配した湯氏がある時点(承久の乱か)で湯郷を失ったことと、のちに頼清の子たちが湯郷・佐世郷(あるいは拝志郷も)の地頭となっていることは確認できるので(浅羽氏家蔵本「佐々木系図」)、頼清が湯郷地頭であったことも事実であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報