日本大百科全書(ニッポニカ) 「漢訳大蔵経」の意味・わかりやすい解説
漢訳大蔵経
かんやくだいぞうきょう
中国語(漢語)に翻訳された仏典の総称。略して大蔵経といい、また一切経(いっさいきょう)ともいう。経・律・論の三蔵(さんぞう)を中心とした翻訳仏典をいうが、広義には中国や日本で著された漢文の仏教文献をも含む。大蔵経とは仏典の大叢書(そうしょ)で、本来、漢訳仏典についてのみ用いられていたが、今日では『南伝大蔵経』『西蔵(チベット)大蔵経』『国訳大蔵経』などのように漢訳以外の仏典についても用いられている。
インドや西域(せいいき)から伝えられた仏典は、漢訳を通して東アジアの漢字文化圏の人々に理解された。仏典が伝えられた中国にはすでに高い古典文化が開花していたから、仏教はその文化に吸収されるような形で受容され、インドや西域の仏教とは異なった独自の中国仏教が形成されたが、そのよりどころとなったのはすべてこの漢訳大蔵経であったといってよい。漢訳は後漢(ごかん)代から宋(そう)代までほぼ1000年の間に行われた。もっとも多く翻訳されたのは南北朝から隋唐(ずいとう)時代である。中国では翻訳仏典の目録(経録(きょうろく))がいくつもつくられたが、その代表的なものは唐代の『開元録(かいげんろく)』である。隋唐時代には各地の大寺院は大蔵経を備え、それを寺院の図書館(経蔵)に収めた。『開元録』によって大蔵経の標準が示されたが、その入蔵録は1076部5048巻である。これらの仏典はすべて書写されたものであるが、宋代になると木版刷りの大蔵経が刊行されるに至った。もっとも古い大蔵経は北宋時代に蜀(しょく)地で刊行された蜀版大蔵経である。版本の大蔵経は宋、元、明(みん)、清(しん)代にわたって数多くつくられ、そのいくつかは現存している。また中国以外でも開版が企てられ、朝鮮や日本でも雕印(ちょういん)された。なかでも朝鮮で高麗(こうらい)時代につくられた高麗版大蔵経(高麗蔵)はその優秀さで知られ、現存の漢訳大蔵経を校訂する際の底本として用いられている。日本のものでは江戸時代に鉄眼(てつげん)道光によって開版された黄檗(おうばく)版大蔵経(鉄眼版)が有名で、ほかに寛永(かんえい)版大蔵経(天海(てんかい)版)などがある。明治以降には『縮刷蔵経』『卍字(まんじ)蔵経』『大日本続蔵経』『大正新修大蔵経』など、活字による印刷大蔵経がつくられた。学術的に高い評価を得ているのは『大正新修大蔵経』100巻(1924~34)であり、外国の学者でも漢訳の典拠を示す場合はこれによるのが原則となっている。全100巻のうち本蔵は85巻で、ほかに『図像部』12巻、『昭和法宝総目録』3巻がある。なお、現存の大蔵経のなかには中国でつくられたと推定される仏典がかなり含まれている。それらは偽経としてかつて入蔵を拒否されたものが少なくなかったが、敦煌(とんこう)から多数の写本が発見され、民衆仏教への貢献が改めて注目されている。
[岡部和雄]