日本大百科全書(ニッポニカ) 「澤田ふじ子」の意味・わかりやすい解説
澤田ふじ子
さわだふじこ
(1946― )
小説家。愛知県半田市生まれ。愛知県立女子大学(現愛知県立大学)卒業後、高校教師を経て、京都で西陣織工として綴(つづれ)織りを手がけながら文筆の道に入る。1975年(昭和50)「石女(うまずめ)」が『小説現代』新人賞を受賞して作家デビュー。以来、歴史・時代小説の数少ない女性の書き手として、1作ごとに実力のほどをうかがわせ、着実な成長ぶりを示してきた。
初期の3長編は古代史に材を得た作品で、平安遷都を背景として、羅城(らじょう)門造営のために駆り出された飛騨の番匠たちと、権力をかさに着た役人たちとの抗争を描いた『羅城門』(1978)、東大寺の大仏建立をめぐる政治的陰謀を描いた『天平大仏記』(1980)の2作は、古代の建築物にまつわる職人の葛藤と、時代の権力のありようを骨太の筆致で明らかにしている。第三長編の『陸奥甲冑記(みちのくかっちゅうき)』(1981)は、陸奥の古代史に光を当て、大和朝廷の侵略に果敢な抵抗を続けた東国蝦夷(えぞ)たちの姿が描かれていた。なおこの『陸奥甲冑記』と短編「寂野(さみしの)」により吉川英治文学新人賞を受賞した。これらの作品に共通するのは、抑圧される者の怒りと誇りという視点から歴史を捉えていこうとする姿勢である。この視点と姿勢は、その後の澤田作品にも如実に示される。例えば作者自ら「橋五部作」と呼ぶ『虹の橋』(1987)、『もどり橋』(1990)、『見えない橋』(1993)、『幾世(いくよ)の橋』(1996)、『天空の橋』(1997)はいずれも江戸時代を舞台に、貧困、社会の矛盾、封建制度の不条理と向き合いながら、家族や友人たちとの精神的な橋をいかに架けるかを問うている。しかも五部作の舞台となっている江戸の世ばかりではなく、現代にも通じるような形で提示するのである。良い例が『天空の橋』で、これはいじめ問題を正面から扱っている。澤田はその後新たな「橋五部作」を執筆し、『大蛇(おろち)の橋』(2001)では、江戸時代の小藩を舞台に、前向きに社会の諸問題に取り組もうとする主人公が、政治の中枢にいる無力、無能の輩(やから)の嫉妬によって能力や技能を圧殺され、さらに許嫁(いいなずけ)を死に追いやられたことに怒り、復讐に転じるさまが描かれる。まさにこれは現代から逆照射された、作者自身の怒りでもある。現代へと通底する時代小説を書く動機として澤田は、「時代小説とわたし」と題したエッセイで「どうして時代ものを書くかを明かすと、現代であれ古い時代であれ、この世に生きている人間の諸相には、さして変わりがないと考えているところに、根元の因子があるようだ」「人間ドラマのまわりを装うものが、今日的なものか、あるいは古い時代のものかだけの違いで、全く異なって見える二つは、人間において一つになりうると考えているのである」と記している。
[関口苑生]
『『大蛇の橋』(2001・幻冬舎)』▽『『羅城門』『寂野』『天空の橋』(徳間文庫)』▽『『天平大仏記』『陸奥甲冑記』(講談社文庫)』▽『『虹の橋』『もどり橋』(中公文庫)』▽『『見えない橋』『幾世の橋』(新潮文庫)』