精選版 日本国語大辞典 「瀬戸物町」の意味・読み・例文・類語 せともの‐ちょう‥チャウ【瀬戸物町】 ( 瀬戸物屋が多くあったところからいう ) 江戸日本橋の地名。伊勢町と室町の間にあった。現在の東京都中央区日本橋室町一~二丁目、日本橋本町一~二丁目にあたる。[初出の実例]「瀬戸物(セトモノ)町の酒棚に来てささやくは」(出典:浮世草子・好色二代男(1684)三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「瀬戸物町」の解説 瀬戸物町せとものちよう 東京都:中央区旧日本橋区地区瀬戸物町[現在地名]中央区日本橋室町(にほんばしむろまち)一―二丁目・日本橋本町(にほんばしほんちよう)一―二丁目室町二丁目・同三丁目の東にある東西の通りに沿った両側町。東は伊勢(いせ)町、北は伊勢町(いせちよう)堀、南は本小田原(ほんおだわら)町に接する。町名は尾張国春日井(かすがい)郡瀬戸(せと)村(現愛知県瀬戸市)産の陶磁器を扱う水野兵四郎・大原某ら六軒の店があったことによる(新撰東京名所図会)。安永三年小間附町鑑によれば京間一四五間の公役金を負担。名主は室町一丁目などと同じ。北側の入堀が堀留となっており、対岸の本町三丁目河岸・伊勢町河岸間へ雲母(きらず)橋が架かっている。西端に福徳(ふくとく)稲荷があり、同社の社伝によれば、江戸開府以前は同所付近を福徳村と称し、同村に鎮座していた稲荷社が福徳稲荷であるというが、福徳村の存在は他の史料などで確認できない。 瀬戸物町せとものちよう 大阪府:大阪市西区瀬戸物町[現在地名]西区靭本(うつぼほん)町一丁目京町堀(きようまちぼり)一丁目の南にあり、西横堀(にしよこぼり)川に東面して南北に延びる片側町。町域は三町からなり、西は新天満(しんてんま)町・新靭(しんうつぼ)町・油掛(あぶらかけ)町に続く。西横堀川には新天満橋・相生(あいおい)橋・敷津(しきつ)橋が架かって対岸の長浜(ながはま)町(現東区)と結ばれる。当初の町名は北富田(きたとみた)町であったが、陶器商が多く集住していることと、同町名がほかにもあったため瀬戸物町と改称され(延宝八年水帳「西区史」所収)、明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図に町名がみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一八・役数二六役で、うち年寄分一役が無役。年寄は松屋与三右衛門。 瀬戸物町せとものちよう 愛知県:名古屋市中区瀬戸物町[現在地名]中区丸の内(まるのうち)三丁目大津(おおつ)町の南、朝日(あさひ)町の北にあり、杉(すぎ)の町筋と桜(さくら)の町筋との間の一丁、および杉の町筋の東西をいう。天正年中(一五七三―九二)清須(きよす)で瀬戸物商家が多く居住したため、この名が出た。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by