出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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瀬戸物町
せとものちよう
[現在地名]中央区日本橋室町一―二丁目・日本橋本町一―二丁目
室町二丁目・同三丁目の東にある東西の通りに沿った両側町。東は伊勢町、北は伊勢町堀、南は本小田原町に接する。町名は尾張国春日井郡瀬戸村(現愛知県瀬戸市)産の陶磁器を扱う水野兵四郎・大原某ら六軒の店があったことによる(新撰東京名所図会)。安永三年小間附町鑑によれば京間一四五間の公役金を負担。名主は室町一丁目などと同じ。北側の入堀が堀留となっており、対岸の本町三丁目河岸・伊勢町河岸間へ雲母橋が架かっている。西端に福徳稲荷があり、同社の社伝によれば、江戸開府以前は同所付近を福徳村と称し、同村に鎮座していた稲荷社が福徳稲荷であるというが、福徳村の存在は他の史料などで確認できない。
瀬戸物町
せとものちよう
[現在地名]西区靭本町一丁目
京町堀一丁目の南にあり、西横堀川に東面して南北に延びる片側町。町域は三町からなり、西は新天満町・新靭町・油掛町に続く。西横堀川には新天満橋・相生橋・敷津橋が架かって対岸の長浜町(現東区)と結ばれる。当初の町名は北富田町であったが、陶器商が多く集住していることと、同町名がほかにもあったため瀬戸物町と改称され(延宝八年水帳「西区史」所収)、明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図に町名がみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一八・役数二六役で、うち年寄分一役が無役。年寄は松屋与三右衛門。
瀬戸物町
せとものちよう
[現在地名]中区丸の内三丁目
大津町の南、朝日町の北にあり、杉の町筋と桜の町筋との間の一丁、および杉の町筋の東西をいう。天正年中(一五七三―九二)清須で瀬戸物商家が多く居住したため、この名が出た。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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