糄とも書く。もみのついたままの米をいって,臼などでついてもみがらを取ったものをいい,器に入れて熱湯をそそいで食べるか,そのまま嚙んで食べるかする。米の独特な香りがする。《和名抄》にも出てくる古語で,保存食とされていたようすが《今昔物語集》などにみえ,近世には東海道庄野の宿の名物に〈俵の火米(やきごめ)〉と呼ぶ名物があった。握りこぶし大の俵に焼米を入れたもので,子どもたちのみやげにされたことが《東海道名所記》などにみえる。焼米をつくる習俗はほぼ全国的に分布し,現行の民俗ではこれをつくる機会は年に2回ほどある。最初は苗代(なわしろ)に種もみをまいたあとである。残ったもみを焼米にし,苗代田の水口に祭壇のようなものをしつらえて供えることが多い。そのためミノデ(水出)ヤッコメ,タネバヤシ,タナドキノヤンゴメ,トリノクチなどと呼び,順調な発芽を祈り,鳥などに荒らされぬように願う意味をこめている。この焼米を子どもたちが集団でもらって歩き,それを鳥追というところが千葉県や静岡県などにある。子どもはもらった焼米を食べるのであるが,正月の鳥追行事も子どもが行うところが多いから,その延長行事と考えることもできる。もう1回は秋である。水田の稲穂が結実を迎える直前の,まだ実が青くて軟らかいころに,水田の一部の稲を刈りとってもみにし,いって焼米をつくるのである。ヤキゴメ,ヒライコメ,ホガケなどといい,西日本に多く行われているが,旧暦8月1日の八朔(はつさく)や,初穂行事の日にするところもある。八朔をタノミノセックと呼ぶように,稲の穂の出た状態を見てその年の豊作を喜ぶのである。それを鳥が食べてしまわぬように祈るのだと説明するところもあるが,子どもが焼米をもらい歩くという伝承はなく,家と家の贈答になっているところが多い。なお岡山県川上郡では重陽(ちようよう)の節供(9月9日)に焼米をつくり,大晦日から正月にかけて食べるので,セッキ(節季)焼米といっている。秋田県男鹿市では八月十五夜の月見行事の供え物のひとつに焼米があり,女性はこの夜の供え物を食べてはならぬとされていた。米を焼くという民俗は他にもあり,とくに臨終に近くなった人間に米を焼いて香をかがせ,蘇生させようとすることも焼米の一種である。
執筆者:坪井 洋文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…貯蔵保存性の点で,古くから備蓄用の食料とされたものも多く,調理の省略化をめざす面では,いわゆる非常食や宇宙食とも密接な関連をもつ。 日本では古くから焼米や乾飯(ほしいい)(糒(ほしい))が用いられた。焼米はもみをいって殻を除いたもので,水や湯をかけ,あるいはそのまま食べた。…
…近世の地方の軍記物に記録されている例が多く,語り物などによって各地に伝播されていったと思われる。しかし実際に城跡から焼米が出てくるという例は少なくない。焼米は神への供物として,山の祭り場で用いられたもので,このような神の聖地に白米城伝説が容易に結びついたものと考えられる。…
…稲作儀礼の一つで,一年の豊作を祈願して苗代(なわしろ)に種もみをまいた日に水口で行う。水口は水田への水の取入口で,ここに土を盛り季節の花や木の小枝を立てて焼米を供える。この焼米は種もみの残りで作る。…
※「焼米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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