果報
かほう
仏教の術語。サンスクリット語のビパーカvipākaの訳語で、先に原因となる行為があり、それによって招かれた結果を報いとして得ることをいう。行為は、心に思い、口にいい、身体で行うの3種に分かれ、たとえ身体を動かさなくても行為はあった、と考えられる。この原因と結果とを結ぶものが業(ごう)(カルマンkarman)で、ときに業がその行為・結果・報いのみをさし、また責任などの全体を含む場合もある。仏教では一般に、善因には善果が、あるいは心の満足という楽果が、また悪因には悪果が、あるいは後ろめたい心という苦果が伴う、としている。果報を二分して、すべてに共通な総報と、個々に差別のある別報とをたてる説もある。なお俗には、運のよいことを果報、それを受けた者を果報者とよび、逆に、不幸なことを因果(いんが)、不幸な者を因果者と称することが行われている。
[三枝充悳]
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果報
かほう
vipāka
仏教用語。異熟とも訳す。以前に行なった行為によって,のちに報いとして受ける結果をいう。人間として生れたことを総報,男女,貧富などの差別を受ける果を別報という。またこの世で行なった行為が,この世で報いとなることを (順) 現報,次の世に結果が現れることを (順) 生報,未来世以後に受けるものを (順) 後報という。一般には運のよいことを果報という。
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か‐ほう クヮ‥【果報】
〘名〙
① 仏語。前世での善悪さまざまの所為が原因となって、
現世でその結果として受けるさまざまな報い。
※菅家文草(900頃)五・仮中書懐詩「悠々皆果報、出入苦二生涯一」 〔法華経‐法師功徳品〕
② (形動) 報いがよいこと。幸福なさま。幸運。しあわせ。
※
平家(13C前)灌頂「五
戒十善の御果報尽きさせ給ふによって」
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【果報】かほう(くわはう)
仏教の用語。因果応報。〔南史、江革伝〕時に(梁の武帝)~手敕して曰く、果報は信ぜざるべからずと~。革、因りて乞ひて
戒を受く。字通「果」の項目を見る。
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