日本歴史地名大系 「熊川村」の解説
熊川村
くまがわむら
当地は若狭と近江・京都を結ぶ軍事上・商業上の要地で、室町後期には粟屋某が下大杉に新関を立てている。享禄二年(一五二九)と推定される六月七日付南北五ケ商人申上状案(今堀日吉神社文書)に「大裏為御料所、粟屋殿大杉仁新関を被立候」とあり、また「羽賀寺年中行事」に「粟屋右馬允牢人衆、天文廿一壬子年三月廿日ニ、大杉之関マテ来テ武案ヲ廻シ」とみえる。永禄(一五五八―七〇)頃には
熊川村
くまがわむら
- 東京都:福生市
- 熊川村
武蔵野台地の西端にあり、西部は多摩川に臨む。北は福生村、南は
熊川村
くまがわむら
熊川村
くまがわむら
熊川村
くまがわむら
湯川左岸に位置し、東は湯川を隔てて
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報