熊谷(市)(読み)くまがや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊谷(市)」の意味・わかりやすい解説

熊谷(市)
くまがや

埼玉県北部の中心都市。1933年(昭和8)市制施行。1941年佐谷田(さやだ)、玉井、大麻生(おおあそう)の3村と久下(くげ)村の一部、1954年(昭和29)中条(ちゅうじょう)、三尻(みかじり)、別府(べっぷ)、奈良の4村、1955年吉岡村を編入。2005年(平成17)大里(おおさと)郡大里町、妻沼町(めぬままち)を合併。2007年大里郡江南町(こうなんまち)を編入。2009年(平成21)特例市に移行。旧市街地は荒川扇状地上に位置するが、西部は台地、東部は利根(とね)川、荒川氾濫(はんらん)原に位置する。市名は中世以来の郷村名による。JR上越・北陸新幹線、同高崎線、秩父鉄道秩父本線(ちちぶてつどうちちぶほんせん)、および国道17号、125号、140号、407号などが会する交通の要地である。

 古くから開発された所で、条里遺構がある。中世には熊谷直実(くまがいなおざね)が館(やかた)を構えた地で、熊谷寺(ゆうこくじ)がある。江戸時代は中山道(なかせんどう)の宿場町で、市場町でもあり、また荒川舟運の河岸(かし)でもあった。1873~1876年(明治6~9)の3年間は現在の埼玉、群馬両県をあわせた熊谷県の県庁所在地であった。農村部では、米麦、野菜などが盛んである。工業は、かつて生糸製粉がおもなものであったが、現在は飛行学校跡や荒川堤外地にセメント鉄鋼、製紙工場ができ、重化学工業に移行、さらに熊谷工業団地には先端技術企業も進出している。名産品に銘菓五家宝(ごかぼう)がある。国の史跡として宮塚古墳がある。また、7月20~22日のうちわ祭は八坂神社の例大祭で、50万人を超える人出でにぎわう。江戸時代からサクラ名所として知られ、現在は荒川沿いに熊谷桜堤が2キロメートルにわたって続く。また、夏の酷暑でも知られ、何度も日本最高気温を更新している。面積159.82平方キロメートル、人口19万4415(2020)。

[中山正民]

『『市制施行二十周年記念 熊谷のあゆみ』(1952・熊谷市)』『『熊谷市史』全3巻(1963~1984・熊谷市)』『日下部朝一郎著『新編熊谷風土記』(1965・熊谷市郷土文化会)』


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