改訂新版 世界大百科事典 「牛玉宝印」の意味・わかりやすい解説
牛玉宝印 (ごおうほういん)
寺院・神社から発行される一種の護符。しばしば起請文の料紙に用いられる。和紙に〈二月堂牛玉宝印〉〈多賀大社牛玉宝印〉〈熊野山宝印〉などの文字が独特の字配り,書体で書かれ,仏の種字(しゆじ)(梵字)や宝珠などをあらわす朱印が押されたもの。木版刷りのものが多いが,筆書きのものもあり,修正会(しゆしようえ)や修二会(しゆにえ)などの初春の儀式の中で作られ,信者に配付される。牛玉宝印は本来は戸口にはったり,木の枝にはさんで苗代の水口にたてたり,病人の枕もとにはったりして降魔・除災のまもりにするものだが,鎌倉時代後期以降,起請文を書く際,その料紙に用いられるようになり,戦国時代以降はとくにしばしば使われるようになった。もっとも,中世には牛玉宝印は多くの寺社から発行されたと想像されるが,発行した寺社内をこえて広く一般に起請文の料紙に用いられるものは,熊野山,那智滝,多賀社,白山権現,英彦山(ひこさん)などのいくつかに限られ,とりわけ熊野三山のものが大半を占める。これは御師(おし)・熊野比丘尼(びくに)などの牛玉宝印の運び手の有無にもよるが,それだけではなく,起請文料紙の選別になんらかの規制があったためであろうと考えられる。起請文に用いる場合には,牛玉宝印の紙背に文言を書くことが多いので,〈宝印を翻す〉などと言うことがあるが,戦国時代以降には翻さず,表に文言を書くことも少なくない。
前述のように護符として用いられると,牛玉宝印が残ることはありえない。したがっていつごろから作られるようになったのかははっきりしないが,起請文の料紙として現存最古のものは,東大寺文書にみえる1266年(文永3)の二月堂牛玉宝印と那智滝宝印とで,ともに木版刷りである。ちなみに那智・熊野の牛玉宝印は,烏点宝珠(うてんほうじゆ)といって烏で字の点・画を記すものが知られているが,こうした牛玉宝印は戦国時代以降のもので,この初見の例も普通の書体で書かれている。
なお,牛玉の名の由来には,生土(うぶすな)の一画が移り牛王となったなどという俗説もあるが,おそらく古来からの霊薬である牛黄(牛の胆囊,肝臓に生じるという)にちなんだものであろう。
執筆者:千々和 到
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報