改訂新版 世界大百科事典 「狂言立て」の意味・わかりやすい解説
狂言立て (きょうげんだて)
歌舞伎の興行における一日の狂言の並べ方。元禄期(1688-1704)から寛政(1789-1801)初年までの,江戸の劇場では,まず儀式的な番立(ばんだち)(三番叟),脇狂言(各座の家の狂言)に続いて,一つの世界に統一された一番目狂言と二番目狂言が続けて上演される。一番目狂言(時代物)は序開(じよびらき),二建目(ふたたてめ),三建目(通説では今日の一番目の序幕にあたるとされているが,絵本番付では二建目から描かれている),四建目,五建目,大詰と上演される。続いて二番目狂言(世話物)の序幕,中幕,大切と進むのが基本の形である。1796年(寛政8)1月桐座で並木五瓶が,一番目《曾我大福帳》に対し二番目を独立させて《隅田春妓女容性(すだのはるげいしやかたぎ)》とつけ,一番目と二番目の内容も分離させた。以後それぞれ独立した名題のもとで上演することも行われるようになった。しかし4世鶴屋南北などは必ずしもその例に従わず,旧来の江戸歌舞伎の大名題のつけ方を用いていた。幕末ごろは多く一番目,二番目の二本立ての興行が行われた。明治以後の東京では,通し狂言ではなく,数種の異なる〈見取(みどり)狂言〉を,一番目,中幕(舞踊劇か,1幕ないし2幕の時代物),二番目,大切(浄瑠璃や長唄による賑やかな舞踊劇)と並べている。一方,京坂ではやはり見取狂言で,前狂言,次狂言,切狂言,大切,または一番目,中幕,二番目,大切と並べた。現在は東西ともに,第一,第二,第三,第四という順序で記されることが多いが,内容からみるとやはり初めに時代物,次に舞踊劇,終りに世話物,そのあとに短い舞踊劇という,昔からのしきたりが守られることが多い。
執筆者:山本 二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報