日本大百科全書(ニッポニカ) 「猪俣浩三」の意味・わかりやすい解説
猪俣浩三
いのまたこうぞう
(1894―1993)
弁護士、政治家。新潟県田尻村(現柏崎(かしわざき)市)生まれ。高田師範学校を卒業し教員となるが、小作農の貧しさをみて弁護士を志す。日本大学に入学、10年の苦学生活のすえ、1927年(昭和2)弁護士を開業した。この間キリスト教入信。1928年ごろ長岡市に民衆法律相談所を設け、小作争議の法廷闘争を行うなど無産政党系弁護士として活躍。おもな弁護事件に新潟県教育疑獄事件、阿久津(あくつ)事件、軍機保護法事件、人民戦線事件などがある。戦後日本社会党結成に参加、党内ではつねに左派に位置する。1947年新潟4区から衆議院当選、1969年引退まで8期(1963年落選)の間「万年法務委員」として鹿地(かじ)事件、造船疑獄、講和・安保問題、基地闘争などに鋭い政府追及の論陣を張った。1970年アムネスティ・インターナショナル日本支部を設立、1976年理事長辞任まで金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)事件ほか人権擁護活動に尽力した。
[荒川章二]
『猪俣浩三著『抵抗の系譜』(1964・酒井書店)』▽『山下恒夫編著『聞書き 猪俣浩三自伝』(1982・思想の科学社)』