双葉山定次(読み)フタバヤマサダジ

デジタル大辞泉 「双葉山定次」の意味・読み・例文・類語

ふたばやま‐さだじ【双葉山定次】

[1912~1968]力士。第35代横綱大分県出身。本名龝吉あきよし定次。優勝12回、69連勝を達成。引退後、年寄時津風となり、日本相撲協会理事長も務めた。→第34代横綱男女ノ川みなのがわ →第36代横綱羽黒山

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「双葉山定次」の意味・読み・例文・類語

ふたばやま‐さだじ【双葉山定次】

  1. 第三五代横綱。本名龝吉定次。大分県出身。昭和二年(一九二七立浪部屋入門。同年初土俵。同一一年関脇になると全勝優勝五場所を続け、同一二年二六歳で横綱。幕内優勝一二回(うち全勝優勝八回)。六九連勝の記録がある。昭和二〇年引退して年寄時津風となり同二三年協会理事、同三二年理事長となり、大相撲発展に手腕を発揮した。明治四五~昭和四三年(一九一二‐六八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「双葉山定次」の解説

双葉山 定次
フタバヤマ サダジ

昭和期の力士(35代横綱)



生年
明治45(1912)年2月9日

没年
昭和43(1968)年12月16日

出生地
大分県宇佐郡天津村(現・宇佐市下庄)

本名
穐吉 定次

別名
年寄名=時津風 定次(トキツカゼ サダジ)

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章

経歴
昭和2年15歳の時立浪部屋に入門。7年入幕、11年関脇、12年1月大関、ついで同年5月35代横綱となる。20年33歳で引退するまでの成績は、優勝12回、全勝8回、276勝68敗で、特に11年1月場所7日目から14年1月場所3日目までの69連勝という未曽有の快記録を樹立。精神と土俵を一体化した相撲道の奥義を究め、威風堂々たる土俵で国民的英雄となった。引退後は21年時津風を襲名時津風部屋を興し若手の育成にあたる一方、32年日本相撲協会理事長となり、協会の改革に尽くした。一時呉清源とともに璽光尊新興宗教(璽守教)を信じ、22年1月警察の手入れ(璽光尊事件)で話題となったこともある。179センチ、128キロ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「双葉山定次」の意味・わかりやすい解説

双葉山定次
ふたばやまさだじ
(1912―1968)

第35代横綱力士。本名穐吉(あきよし)定次。明治45年2月9日大分県天津(あまつ)村(現宇佐市)に生まれる。1927年(昭和2)立浪(たつなみ)部屋に入門、1932年1月春秋園事件で大量脱退力士をみたので、十両から特進入幕した。1936年5月関脇(せきわけ)に昇進してから、にわかに強豪ぶりを発揮し、前人未踏の69連勝の大記録を樹立した。70連勝がならず安芸ノ海(あきのうみ)の外掛けに敗れた日(1939年春場所4日目)は、全国の話題をさらった。その間1937年1月大関、同年5月には全勝3連覇で横綱に推挙された。178センチメートル、124キログラムの均整のとれた体格で、右差し左上手(うわて)をとっての投げは無類の強さで、双葉山の姿を一目見ようと、ファンは前夜から国技館の周囲を取り巻くという、双葉山時代を招来した。暗い世相において長く沈滞した相撲(すもう)界を復興させた功績は大きい。幕内成績276勝68敗1引分け、優勝12回(全勝8回)の記録を残した。現役のころから双葉山道場を創設して弟子の養成に努め、1945年(昭和20)11月引退、1946年時津風を襲名し、一代で大部屋に発展させ、横綱鏡里(かがみさと)をはじめ二十数人の幕内力士を輩出した。1957年日本相撲協会理事長に就任し、相撲界の近代化に貢献した。従(じゅ)四位勲三等が贈られた。昭和43年12月16日没。

[池田雅雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「双葉山定次」の意味・わかりやすい解説

双葉山定次 (ふたばやまさだじ)
生没年:1912-68(大正1-昭和43)

昭和期の力士。第35代横綱。本名龝吉(あきよし)定次。大分県宇佐市に生まれ,1927年,15歳で立浪部屋に入門。32年入幕,36年5月関脇に昇進してから強さを発揮し,39年1月安芸ノ海に敗れるまで69連勝の大記録を樹立し,双葉山時代といわれた。その間37年1月大関,同年5月全勝3連覇で横綱に推挙された。178cm,124kgの均整のとれた体格で,力水は1度だけ,いつも受けて立ち,左上手をとれば負けたことはなかった。優勝12回(全勝8回)。1945年引退して,年寄時津風になり,多くの弟子を養成。相撲協会理事長として改革に功績が大きかった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「双葉山定次」の意味・わかりやすい解説

双葉山定次
ふたばやまさだじ

[生]1912.2.9. 大分,宇佐
[没]1968.12.16. 東京
第 35代横綱。本名龝吉定次 (あきよしさだじ) 。 1927年立浪部屋へ入門,1932年 20歳で入幕。 1936年に関脇へ進み,1937年春大関,同 1937年夏横綱となった。 1945年 33歳で引退し,年寄時津風を襲名。 1948年大日本大相撲協会 (現日本相撲協会) 理事,1957年理事長。身体は柔軟で筋力や敏捷性に富み,得意技 (わざ) は上手投げ。入幕後の成績は,31場所中総取組数 345,勝数 276,敗数 68で勝率 80.2%。その間優勝は 12回 (全勝8回) ,連勝数 69という未曾有の記録を樹立。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「双葉山定次」の意味・わかりやすい解説

双葉山定次【ふたばやまさだじ】

力士。本名龝吉(あきよし)定次。大分県出身。1927年立浪部屋に入門,1928年初土俵,1932年入幕,1937年35代横綱。1936年春場所7日目瓊ノ浦(たまのうら)に勝ってから1939年春場所4日目安芸ノ海に敗れるまで,69連勝(当時は年間2場所,1場所は13日)の偉業を達成。優勝12回。1945年引退後年寄となり時津風部屋を創設。1957年日本相撲協会理事長に就任,部屋別総当り制など大相撲の近代化に尽くした。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「双葉山定次」の解説

双葉山定次 ふたばやま-さだじ

1912-1968 昭和時代の力士。
明治45年2月9日生まれ。昭和2年立浪(たつなみ)部屋に入門。7年入幕,12年35代横綱。11年春場所7日目から14年春場所4日目の安芸(あき)ノ海に敗れるまで69連勝。右四つ上手投げを得意とした。優勝12回。幕内成績276勝68敗1分。20年引退し年寄時津風を襲名。32年日本相撲協会理事長。昭和43年12月16日死去。56歳。大分県出身。本名は穐吉(あきよし)定次。
【格言など】われ未だ木鶏(もっけい)たりえず(70連勝を阻まれたとき安岡正篤にあてた電文)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「双葉山定次」の解説

双葉山 定次 (ふたばやま さだじ)

生年月日:1912年2月9日
昭和時代の力士(35代横綱)
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android