日本大百科全書(ニッポニカ) 「生命観」の意味・わかりやすい解説
生命観
せいめいかん
image of life
生命をどのような存在と考えるかに関する思考様式。生命論が理論的、体系的な知識体系を表すのに対して、生命観はさらに広く人々の漠然とした発想の次元をも含んだより包括的な概念として用いられるが、生命論の意味でも使われる。
原始社会においては、人々は、生物以外の自然現象も含めて、自然界の至る所に生命原理を認め、無機的自然も生きたものとする物活論的自然観をもっていた。場合によっては、それらは人間と同じような存在と考えられることもあった。この発想は、その後も人々の思考の深層に生き続け、宗教、文学、芸術等にその表現がみいだされる。
古代文明が成立し、知的・学問的思考が確立されると、人間以外の存在に人格を認める単純な擬人主義は退けられた。この時代から機械論的な生命論も現れたが、しかしそれは主流にはならず、生命のもつ特異性を重視する目的論的・有機体的自然観が支配的となった。ヨーロッパの古代・中世や東洋の伝統社会においては、この考え方が保持されてきた。
18世紀ごろまでのヨーロッパでは、自然を動物界、植物界、鉱物界の三つに大きく分類するのが普通であったが、この際には鉱物も不完全ではあるが「成長」するものとされていた。近代科学の発達とともに、機械論的な思考が広がり、生命は機械論的な原理に還元できるという見解が有力になってきた。他方それに対して、生命には無機物質とは異なった独自の原理が存在するとする見解も主張され、19世紀には、自然は大きく有機界(生命)と無機界(非生命)とに分けられ、その両者の関係をめぐって論争が続いた。20世紀になると多くの科学者は機械論的な見解を支持するようになった。しかし、人々の生命観には、古くからのいろいろな発想が今日でも生き続けている部分がある。
[横山輝雄]
多様な生命観
生命に関する説明原理には、生と裏腹の関係にある死に関する説明を省くことはできない。したがって、生命観とは生死観の別の表現であるといってもよい。人が抱く興味のなかで、生と死ほど人の関心をひくものはない。日ごろはそれを忘れ、あるいは無関心を装っていても、死が自分の問題として差し迫ってくると、これを免れることはできないと理解しつつ、なんとかしてこれを逃れようとあがき、苦しみ、恐れる。いったん、死の危機が去ったとき、人は深く生の意義を味わうのである。このような一般的な生と死に関する感じ方は、すべての人に共通しているといってよいが、生命観は、それぞれの文化において体系化されており、それが宗教的儀礼慣行のなかで展開していることが多い。そして、人々は、そこで提供される生と死に関する説明原理に依拠しながら、生の歓喜から死の恐怖に至る人生の過程について、意味ある一貫性をみいだそうとしているのである。
たとえば、タイ中央部の農民にとって、新生児の魂は、生後3日目に初めて人間のものになると信じられており、この日、新生児の魂をこの世に呼び込み、人間にする儀式が行われる。人間の魂(クワン)は頭のつむじ(クワン)に宿るとされ、したがって人の頭に手を触れることは許されない。わが国でも、7歳までは神のうちといい、子供をとくにたいせつにした。七五三の宮参りも、幼児の生命が不安定であったことから、各年齢段階での成長を確かめ、神に感謝し、喜ぶという特別の意味があった。人生儀礼のなかでも、成人式の儀礼のなかに生命観が反映している場合がある。たとえば、わが国でも、かつて若者組への加入に際して山にこもる風習があったが、これは稲の生命が籾(もみ)に、蚕が繭にそれぞれこもったのち、ふたたびよみがえるように、人間も山という一種の胎内にこもったのち、再生すると考えられたのである。アフリカのザンビアに住むンデンブ(デンブ)人Ndembu社会にも、成人に際してこもる風習がある。ここでは割礼が行われるが、「割礼」ということばは、同時に「死」を意味するという。少年はいったん死に、青年として第二の誕生を迎えるのである。現代社会では、死そのものが死んでしまったかのようである。宗教は死および死後の世界についてもいちおうの説明原理を用意してくれたが、今日では、死の来訪を先に延ばす一時しのぎのくふうが優先している。死を予想し、生を肯定し充実させる特権は、人間にだけ与えられたものといえる。
[丸山孝一]
『八杉龍一著『生物学の歴史』上下(1984・日本放送出版協会)』