生後初めて氏神に参って氏子となることで、初宮参りともいう。日取りは30日前後が多く、所によってお七夜にする所もあり、100日ごろにする例もある。初宮参りをヒアケ、ヒハレ、シメアゲ、ウブアケなどというのは、この日で生児の忌みが晴れるので、産屋明けに氏神への初参りをするのである。産の忌みはコユミ(子忌み)三三日、オヤユミ(親忌み)七五日といわれるように、産婦にもっとも重く、ついで生児、次に夫、家族という順になっている。したがって、母子双方の忌み明けを待って、75日、100日目に参る所や、西日本ではモモカマイリといって100日目に参る例が多い。30日前後の宮参りに鳥居参りといって、鳥居までしか参らぬ所がある。もちろん母親の忌みが明けぬことも理由の一つであるが、その地方の産の忌みの観念の強さにもよる。仲人(なこうど)の女親(仲人の妻)や産婆、姑(しゅうとめ)などがハレギを着せた児を抱いて参る。氏見せ、ゲンゾ(見参)参りなどといって、新しい氏子を氏神に引き合わせるのが目的で、わざと子を泣かせたりして、神に印象づけ将来の加護を祈る。社前に赤飯や御神酒(おみき)を供え、赤飯はついてきた近所の子供たちに、お仲間入りといってすこしずつふるまう。宮参りの帰りには祝いをもらった親戚(しんせき)へ寄り、シラガというオヒネリを産着の紐(ひも)に結んでもらって、長生きするように祝ってもらう。宮参りは生児が初めて社会的に承認され、地域の一員となるという第一の手続でもあった。
[大藤ゆき]
『『家閑談』(『定本柳田国男集15』所収・1963・筑摩書房)』▽『恩賜財団母子愛育会編『日本産育習俗資料集成』(1975・第一法規出版)』▽『大藤ゆき著『児やらい』(1968・岩崎美術社)』
生後はじめて氏神に参って氏子となることで,初宮参りともいう。男児32日目,女児33日目に参る例が多いが,早い所では七夜に参り,また100日目に参るという遅い所もある。初宮参りをヒアケとかヒハレ,シメアゲなどというのは,生児の産屋の忌が明けたことを意味する。産婦の忌は75日たたぬと明けぬとされているので,30日前後の宮参りには母親は参加せず,産婆や仲人,姑などが生児を抱いたりおぶったりしていく。しかし元来は母子ともに忌明けを待って行ったものらしく,特に西日本ではモモカマイリといって,母子ともに100日目に参る例が多い。
したがって30日前後の宮参りは,鳥居のところまでの鳥居参り,坂参りであって,正式には75日目,100日目に参るという土地もある。生児にはハレギの上に里からおくられた産着(男児には熨斗目(のしめ),女児には模様物)をカケ衣装としてかけ,社前に赤飯やお神酒などを供える。社前ではわざと児をつねって泣かせたり,小便をさせるなど,ことさらに神に印象づけ将来の加護を祈る。宮参りについてきた近所の子どもたちには,赤飯を一箸ずつ分け与えて,子ども仲間への仲間入りのしるしとする。宮参りの帰りには祝いをもらった親戚などに寄り,シラガというオヒネリを産着の紐に結んでもらって,長生きするように祝ってもらう風がある。帰宅後には祝宴を催す。宮参りは氏見せ,ゲンゾ(見参)参りともいうように,新しく氏子となる生児を氏神にひき合わせ認めてもらうのが目的で,氏子となるということは,その村の一員になるということでもあって,社会的承認の第一段の手続であった。
→氏子入り
執筆者:大藤 ゆき
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…これは悪魔を払うためといわれ,東北地方ではヤスコと呼んでいるが,やはり神の子として生児が承認されたしるしでもある。
[宮参り]
ふつう男児は生後32日,女児は33日目に氏神に参る。氏神の氏子となることは,正式に村の一員として認められることである。…
…その後,期日は11月15日となり,年齢も武家では男5歳,女4歳となったが,江戸時代中期以後は男子5歳の袴着に対して,もっぱら女子7歳の祝いとされた。その作法は,7歳の女児を吉方(えほう)に向かせ,仮親に帯を結んでもらって宮参りをするというものであるが,このときに被衣(かずき)をはじめてかぶせることもあった。また宮参りの際に女児を肩車に乗せていく家もあった。…
※「宮参り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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