日本における湖沼学・陸水学の開拓者。東京・築地(つきじ)の尾張(おわり)藩邸に生まれる。10歳ごろ富士登山の際、眼下の五湖に強い研究欲をそそられた。1884年(明治17)駐伊公使として赴任する父不二麻呂(ふじまろ)に従いヨーロッパへ渡り、イタリア、スイス、フランスを経て、ベルギーのブリュッセル大学で地理学を修めた。1895年帰国。1899年の山中湖の等深線図作成・水温観測は日本最初の近代湖沼学・陸水学研究であった。以後20年間ほとんど独力で全国の主要湖沼を科学的に調査した。1931年(昭和6)日本陸水学会初代会長。華族女学校や早稲田(わせだ)、拓殖、京都の各大学、水産講習所(のち東京水産大学。現、東京海洋大学)で地理学や湖沼学を講じ、湖沼学の普及に努めた。著書に『湖沼の研究』(1930)、『諏訪(すわ)湖の研究』(1918)、『野尻(のじり)湖の研究』(1926)、『日本北アルプス湖沼の研究』(1930)、『湖』、『松原湖群の湖沼』などがある。
[石山 洋]
湖沼学者。東京築地の尾張藩主徳川侯邸内に生まれた。父の田中不二麻呂は尾張藩士。1884年父母に従って渡欧,93年ブリュッセル市立大学を卒業,主として人文地理学を学び,95年に帰国して,日本に初めて湖沼学を紹介した。自らも99年8月山中湖の測深を行って以来,各地の湖沼を訪れ,主として湖盆形態ならびに水温などの物理的性質の研究を行った。1932-33年には千島列島の湖沼調査に参加している。1931年,日本陸水学会を創立。主著に《諏訪湖の研究》(1918),《野尻湖の研究》(1926),《日本北アルプス湖沼の研究》(1930),《趣味の湖沼学》(1922)がある。
なお,長男の田中薫(1898-1982)は地理学者で,《氷河の山旅》(1943),《アメリカの経済地誌》(1953),《地理写真手帳》(1960)などの著書がある。
執筆者:西条 八束
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明治〜昭和期の湖沼学者 日本陸水学会初代会長。
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…ナウマンの提唱による国際陸水学会はその中心が湖沼学となっている。日本では1899年に田中阿歌麿(1869‐1944)によって初めて湖沼学が開拓され,諏訪湖の研究などが行われた。ほかに田中館秀三(1884‐1951),宮地伝三郎(1901‐88),吉村信吉(1906‐47)らの調査研究により,湖沼学は非常に進歩した。…
※「田中阿歌麿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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