田村駒治郎(読み)タムラコマジロウ

デジタル大辞泉 「田村駒治郎」の意味・読み・例文・類語

たむら‐こまじろう〔‐こまヂラウ〕【田村駒治郎】

[1904~1961]実業家大阪の生まれ。関西の繊維問屋田村駒、太陽レーヨンの社長財力を生かしてプロ野球球団の経営参画。昭和25年(1950)松竹ロビンスのオーナーとなり、セリーグ初優勝を果たした。社会人野球発展にも力を尽くした。

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20世紀日本人名事典 「田村駒治郎」の解説

田村 駒治郎(2代目)
タムラ コマジロウ

昭和期の実業家 元・松竹ロビンスオーナー。



生年
明治37(1904)年2月21日

没年
昭和36(1961)年1月21日

出生地
大阪府大阪市東区

別名
幼名=駒太郎

学歴〔年〕
市立天王寺商卒

経歴
大正10年田村駒に入社。昭和6年初代駒治郎の死去に伴い、2代目を襲名し社長に就任。9年太陽レーヨンを設立し社長。この間、大正15年欧米を視察した際、米国の大リーグ野球に出会う。昭和12年にはプロ野球チーム大東京の経営に加わり、以後ライオン(朝日)軍、太陽ロビンスなどと名前を変えながら独力で経営。松竹の協力を仰いで、25年松竹ロビンスを優勝させた。その後球団経営が困難になり、28年大洋捕鯨との合併を機に身をひいた。45年野球殿堂入り。


田村 駒治郎
タムラ コマジロウ

明治・大正期の実業家



生年
慶応2年6月(1866年)

没年
昭和6(1931)年3月31日

出生地
摂津国池田(大阪府)

旧姓(旧名)
笹部

経歴
18歳のとき大阪中之島の友禅工場に見習工として入り、明治28年洋友物店を設け弟徳三郎とともに経営に当った。41年田村友禅工場を設立、友禅模様及び捺染改良を行うとともに、輸入更紗の模様及び捺染改良にも成功した。大正7年反物店を拡張し株式会社田村駒商店に改組、社長に就任した。また日本綿糸布やモスリン紡織などの社長のほか、14年には貴族院多額納税議員に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村駒治郎」の解説

田村駒治郎(初代) たむら-こまじろう

1866-1931 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応2年6月生まれ。明治41年大阪に田村友禅工場を創設。外国製品をしのぐ更紗(サラサ)の捺染(なっせん)に成功した。大正7年田村駒商店に改組し社長。毛斯綸(モスリン)紡織などの役員もつとめる。貴族院議員。昭和6年3月31日死去。66歳。摂津豊島郡(大阪府)出身。本姓は笹部。

田村駒治郎(2代) たむら-こまじろう

1904-1961 昭和時代の実業家。
明治37年2月21日生まれ。初代田村駒治郎の子。田村駒,太陽レーヨンの社長。昭和12年からプロ野球の経営に参加,25年オーナーとして松竹ロビンスをセリーグ第1回優勝にみちびいた。昭和36年1月21日死去。56歳。45年野球殿堂入り。大阪出身。天王寺商業卒。

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