甲山寺(読み)こうざんじ

日本歴史地名大系 「甲山寺」の解説

甲山寺
こうざんじ

[現在地名]岡崎市六供町

岡崎城の北東かぶと山の南麓に位置する天台宗寺院でもと寛永かんえい寺末。長輝山竜城艮りゆうじよううしとら院と号す。本尊不動明王。もと安城あんじよう(現安城市)にあり、大同三年(八〇八)最澄創建と伝える薬師やくし堂と東円坊・多宝坊・極楽坊・吉祥坊・華蔵坊(もとは円寿坊)・法寿坊の六坊を、享禄三年(一五三〇)に松平清康が岡崎城鬼門の地に移したものという。

松平広忠は子なきを憂え、碧海郡和田わだ村の法性ほつしよう寺定光坊永玖をして鳳来ほうらい寺の薬師に祈らせたところ、天文一一年(一五四二)一二月二六日に家康が誕生したので、永玖の功を賞しかつ祈願所とするために和田山法性寺の定光坊・杉本坊・密祥坊・中之坊・密厳坊・大円坊の六坊をこの地に移し、新たに護摩堂を建立して、これを惣本堂と定めた。

甲山寺
こうやまじ

[現在地名]善通寺市弘田町

かぶと山の北麓弘田ひろた川の南岸にある。医王山多宝院と号し、真言宗善通寺派、本尊は薬師如来。四国霊場八十八ヵ所の第七四番札所。御詠歌は「十二神みかたに持てるいくさにはおのれと心甲山かな」。「西讃府志」「讃岐国名勝図会」(草稿本)によると、弘仁一三年(八二二)弘法大師満濃まんのう池を築造した報奨として下賜された銭を割いて、堂宇を建立したことに始まるとされる。京都北野社の大荘厳経論巻六の応永一九年(一四一二)五月一六日付奥書に「讃州甲山寺」がみえる。天正年間(一五七三―九二)兵火にあい堂宇のすべてが烏有に帰したが、本尊と大日如来焼失をかろうじて免れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「甲山寺」の解説

甲山(こうやま)寺

香川県善通寺市、甲山の北麓にある真言宗善通寺派の寺院。山号は医王山、院号は多宝院。本尊は薬師如来。弘法大師(空海)の創建と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第74番札所。

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