日本歴史地名大系 「滝山寺」の解説
滝山寺
たきさんじ
鎌倉時代になると寺は大いに発展する。祐範の姉は源義朝の正室となり頼朝・希義兄弟を生んだ。寛伝は頼朝と従兄弟となった。祐範の姪、寛伝の姉(あるいは妹)は足利義康の室となったが、子義兼、孫義氏は鎌倉幕府の有力者であった。正治元年(一一九九)に没した頼朝の一周忌に、寛伝は頼朝菩提のため山内に
とある。寄進者は坂上維伴と太平左衛門尉惟行で、ともに足利氏執事高氏の庶流であり、阿智波郷(現阿知和町)において田八反を寄進した。頼朝の妻北条政子の妹を母とする足利義氏は、承久の乱後額田郡地頭職が与えられた(倉持文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報