中国、戦国時代の法家(ほうか)思想家、政治家で、君主が臣下を統御する法すなわち術に関する考察に優れたとされる。鄭(てい)国の京(河南省滎陽(けいよう)県)の人。鄭国の下級官吏であったが、のち韓(かん)の昭侯(在位前362〜前333)に仕え、宰相として15年間在職し、強国の間にあって富国強兵に努め成果をあげた。彼に関する諸説話からすると、彼は、臣下がうまく君主に重用されるための術や、君主権強化のため君主が臣下をうまく統御するための術についての考察に優れていたらしい。韓非(かんぴ)は後者の術を評価継承したと思われる。それは、君主は自分の好悪や意図を臣下に覚(さと)られぬよう無為虚静の態度を保ち、臣下を先導せずその自主的行為を督責して臣下を統御すべきだというもので、これは道家の無為、因循(いんじゅん)、虚静の思想の摂取と思われる。『史記』で彼の学問が黄老(こうろう)に基づくとするのは、そのことをさすといえよう。著作は漢初には2篇(へん)であったが、『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)には『申子(しんし)』6篇が著録されており、現在は逸文(いつぶん)があるだけである。
[澤田多喜男 2015年12月14日]
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…両者をうけて,商鞅(しようおう)の変法は,隣保・家族制や軍功爵による集権支配と官僚制,土地改革などの富国強兵策とを,法制をしいて秦で強行した。以後,韓の申不害(?‐前337)は〈刑名(実功と言辞)〉審合で臣下を統御し〈術〉によって黄老風に権力意志を〈無為〉に隠匿(カムフラージュ)する独裁術を唱え,斉の稷下(しよくか)学士(稷門)の慎到は客観的な力関係と権力の掌握行使の方策が〈勢〉威にあると説いた。 戦国末期の韓非子は,儒家の徳治主義を排するが荀子流〈礼〉の実在を法権の超越的実在に入れ替え,〈法・勢・術〉3者を総合して権勢を君主に集中独裁させ,官僚を爪牙に駆民統治をめざす法治思想を集大成した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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