コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

畑俊六 はたしゅんろく

4件 の用語解説(畑俊六の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

畑俊六
はたしゅんろく

[生]1879.7.26. 東京
[没]1962.5.10. 東京
元帥。陸軍大将。会津藩士畑能賢の子。陸軍大将畑英太郎は実兄。 1900年陸軍士官学校卒業後,野砲第1連隊付となり,日露戦争には同砲兵中尉として出征。 10年陸軍大学卒業後は参謀本部員となり,12~16年までドイツスウェーデンに駐在。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

畑俊六【はたしゅんろく】

陸軍軍人。福島県生れ。教育総監,軍事参議官を経て1939年陸軍大臣,1940年中国派遣軍総指揮官等を歴任し,1944年元帥となって再び教育総監。この間パリ平和会議に全権随員として列席。
→関連項目東京裁判

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畑俊六 はた-しゅんろく

1879-1962 明治-昭和時代前期の軍人。
明治12年7月26日生まれ。畑英太郎の弟。昭和12年陸軍大将。14年から阿部・米内(よない)内閣の陸相をつとめ,15年近衛新体制樹立のため単独辞任し米内内閣をたおした。19年元帥,20年第二総軍司令官。戦後,A級戦犯として終身刑,29年に仮釈放。昭和37年5月10日死去。82歳。東京出身。陸軍大学校卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

畑俊六
はたしゅんろく
(1879―1962)

陸軍軍人。東京生まれ。陸軍士官学校12期。陸軍大学校卒業。参謀本部員などを経て、作戦関係の要職を歴任。1937年(昭和12)大将となる。1938年中支派遣軍司令官として武漢作戦を指揮。1939年より阿部、米内(よない)両内閣陸相。1940年近衛(このえ)新体制樹立のため単独辞職して米内内閣を倒した。1941年支那(しな)派遣軍総司令官。1944年元帥。敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身刑の判決を受ける。1954年(昭和29)病気のため仮出所し1958年赦免。のちに偕行社(かいこうしゃ)会長となる。後年、七三一部隊の研究の深化によって、満州(中国東北部)での生物兵器の人体実験に関する司令官としての責任が問われている。戦中・戦後の日誌が公刊されている。[小田部雄次]
『『巣鴨日記』(1977・行政通信社) ▽『続・現代史資料4 畑俊六日誌 1929―1945』(1982・みすず書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の畑俊六の言及

【軍部】より

…この効果はたちまち発揮され,翌37年1月宇垣一成の組閣に反対する陸軍は,陸相を出さず内閣の成立を阻んだ。さらに40年7月畑俊六陸相は単独辞職によって米内光政内閣を倒壊に追い込んだ。軍部がその希望する政策を実現するために,内閣の生殺与奪の権を握る武器として,この軍部大臣現役武官制が活用され,軍部の政治的地位を保障したのである。…

※「畑俊六」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

畑俊六の関連キーワード池田寅二郎川瀬光順島津隼彦瀬川章友竹原荘次郎立野徳治郎広瀬千秋三隅正安田昌和田徳次郎

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone