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畠山満家 はたけやまみついえ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

畠山満家
はたけやまみついえ

[生]文中1=応安5 (1372)
[没]永享5 (1433).9.19. 京都
室町時代初期の武将。基国の子。左衛門督,尾張守。法名,道端。応永の乱で大内義弘討伐に功を立て,2度(1410~12,1421~29)室町幕府管領を務めた。5代将軍足利義量(よしかず)が在職 3年で早世し,後継者問題が起こったとき,満家は満済とはかり,石清水八幡宮くじを引き,青蓮院義円をたてた。これが 6代将軍足利義教である。

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百科事典マイペディアの解説

畠山満家【はたけやまみついえ】

室町前期の武将。父は基国。満家は将軍足利義満に疎まれていたため,1406年基国の没後家督河内など4ヵ国守護職は弟満慶(みつのり)が継いだ。1408年義満が没すると,満慶から家督を譲られたようで,河内など3ヵ国守護となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畠山満家 はたけやま-みついえ

1372-1433 室町時代の武将。
応安5=文中元年生まれ。畠山基国の子。足利義満にうとまれたため,弟畠山満慶(みつのり)が家督をつぐ。応永15年義満没後に家督をゆずられ,河内(かわち),紀伊(きい),越中の守護となる。将軍足利義持のもとで,2度管領(かんれい)となる。義持の死に際し,義持の弟義円(義教(よしのり))を将軍にたてた。永享5年9月19日死去。62歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

畠山満家

没年:永享5.9.19(1433.10.31)
生年:応安5/文中1(1372)
室町時代の武将。父は基国。尾張守,左衛門督。将軍足利義満に疎まれ,大内義弘が幕府に反した応永6(1399)年の応永の乱で功をあげるが許されず,弟の満則が家督を相続した。同15年に義満が死去すると,満則から宗家の家督および越中・河内・紀伊守護職を譲られて復帰。2度管領になっている。正長1(1428)年の将軍足利義持の死に際しては満済と計り,石清水八幡宮でくじを引いて,義持の弟義円(義教)を将軍に立てた。同年,山城の守護職も与えられ,その後斯波義淳が管領となったのちも,これをしのいで義教の信任を得,多くの諮問を受けているが,それに対し穏当な意見を答申し,義教の専横を抑制するのに功があった。文字に疎いとの風聞があり,万里小路時房は,満家は「畳字(漢字の熟語)」を理解できないと述べている。<参考文献>米原正義『戦国武士と文芸の研究』

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

はたけやまみついえ【畠山満家】

1372‐1433(文中1∥応安5‐永享5)
室町前期の武将。法名道端。1399年応永の乱に父基国とともに大内義弘の追討に参加。家督継承の時期は不明であり,1406年(応永13)基国の没後満家の弟満慶が継ぐが,08年には満慶の領国は能登に限られ,満家が河内・越中・紀伊守護に補任され,28年(正長1)山城守護ともなる。1410年,21年の2度管領となり,4代将軍足利義持の死後,満済と謀り義教を嗣立した。【鳥居 和之】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

畠山満家
はたけやまみついえ
(1372―1433)

室町時代の武将。基国(もとくに)の子。尾張守(おわりのかみ)、右衛門佐(うえもんのすけ)、左衛門督(かみ)。1399年(応永6)に従(じゅ)五位上に昇進したが、将軍足利義満(あしかがよしみつ)に忌避され、応永(おうえい)の乱では大内義弘(よしひろ)を追討し功をあげたが、なお許されなかった。1406年の父基国の死後は弟満慶(みつよし)が家督を嗣(つ)ぎ、満家は河内(かわち)、紀伊(きい)、越中(えっちゅう)、能登(のと)の四か国守護となった。しかし、1408年の義満の死後は満慶より家督を譲られ、能登を残して三か国守護となり、さらに大和(やまと)宇智(うち)郡の分郡守護ともなった。将軍義持(よしもち)・義量(よしかず)の下で10年から12年までと、21年から29年(永享1)までの二度管領(かんれい)に補任(ぶにん)され、晩年には山城(やましろ)守護ともなった。義持の死後の後継者問題では三宝院(さんぽういん)門跡満済(まんさい)らと石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で籤(くじ)を引き青蓮院義円(しょうれんいんぎえん)(義教(よしのり))に決定したことは有名。『建内記(けんないき)』には、満家は文字に疎く、畳字(じょうじ)(漢字の熟語)などが理解できないので、和語でわかりやすく話す必要があるとみえている。永享(えいきょう)5年9月19日没。法号は真観寺殿直源道端。[石田晴男]
『米原正義著『戦国武士と文芸の研究』(1976・桜楓社) ▽小川信著『足利一門守護発展史の研究』(1980・吉川弘文館)』

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