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登張竹風 とばり ちくふう

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美術人名辞典の解説

登張竹風

独文学者・随筆家。広島県生。名は信一郎。東大卒。大学でドイツ人フロレンツに師事し、わが国独文学界の草分けの一人である。小説『あらい髪』を書いて文名を高めた。『ニーチェと詩人』『遊戯三昧』等、随筆集や辞典・訳書が多数ある。姉崎嘲風笹川臨風とともに〈明治三風〉の一人。昭和30年(1955)歿、82才。

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デジタル大辞泉の解説

とばり‐ちくふう【登張竹風】

[1873~1955]ドイツ文学者・評論家。広島の生まれ。本名、信一郎。高山樗牛(ちょぎゅう)とともにニーチェ主義を唱え、のち、「独和大辞典」などを編纂(へんさん)。著「ニイチェと二詩人」など。

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百科事典マイペディアの解説

登張竹風【とばりちくふう】

独文学者,評論家。本名信一郎。広島県生れ。東大独文科卒。1899年より高等師範学校教授。翌年《帝国文学》の編集員となり,ハウプトマンなどのドイツ文学論を発表する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

登張竹風 とばり-ちくふう

1873-1955 明治-昭和時代のドイツ文学者,評論家。
明治6年10月8日生まれ。東京高師教授。高山樗牛(ちょぎゅう)らとニーチェを紹介。明治39年その超人説が不敬思想とみなされ同校を辞職。のち二高,満州建国大教授。昭和30年1月6日死去。81歳。広島県出身。帝国大学卒。本名は信一郎。訳書に「如是説法ツァラトゥストラー」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

登張竹風
とばりちくふう

[生]1873.10.2. 広島,江田島
[没]1955.1.6. 東京
ドイツ文学者,評論家。本名,信一郎。 1897年東京大学独文科卒業。東京高等師範学校第二高等学校教授などを歴任。『フリイドリヒ・ニイチエを論ず』 (1901) ,『ニイチエの影響』 (02) でニーチェの全面的紹介を行い,高山樗牛と並ぶニーチェ主義者として個人主義思想に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

登張竹風
とばりちくふう
(1873―1955)

独文学者、評論家。広島県生まれ。本名信一郎。東京帝国大学独文科卒業。1900年(明治33)東京高等師範学校在職中、『帝国文学』編集員となり、同誌上にニーチェを紹介したことから、坪内逍遙(しょうよう)らとの間にニーチェ論争を展開、一時評論に健筆を振るったが、超人説が不敬思想とみなされて、06年、高師を退職、しだいに文壇から遠ざかった。その後、旧制二高、満州建国大学などを歴任、独語教授に専念、『独和大辞典』を二度(1912、33)著した。著書に『ニーチェと二詩人』(1902)、『舌筆録』(1906)などの評論集、泉鏡花との共訳によるハウプトマン『沈鐘』(1908)、ニーチェと親鸞(しんらん)とを融合させた『如是経序品(にょぜきょうじょほん)』(1921)、随筆集『人間修行』(1934)、『遊戯三昧(ゆうげざんまい)』(1936)などがある。[登張正實]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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