デジタル大辞泉
「白洲正子」の意味・読み・例文・類語
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白洲正子【しらすまさこ】
随筆家。東京都生れ。父は実業家・政治家で伯爵の樺山愛輔(かばやまあいすけ),夫は実業家で吉田茂の側近として活躍した白洲次郎。1924年に女子学習院初等部を修了。梅若流の能を学んでいたため,同年女性として初めて能舞台に立つ。その後,アメリカのハートリッジ・スクールに留学。第2次世界大戦後は早くから評論家の小林秀雄,骨董(こっとう)の目利き青山二郎らと親交を結び,文学や骨董の世界に切り込んだ。この当時の東奔西走する姿を,青山二郎は〈韋駄天(いだてん)お正〉と命名したという。その〈健脚〉ぶりは晩年になっても衰えず,自分の眼で見,直接足を運んで執筆する姿は,終生変わらぬ基本姿勢であった。著書は《お能》《かくれ里》《謡曲・平家物語紀行》《西行》《白洲正子自伝》《両性具有の美》など多数。
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白洲正子 しらす-まさこ
1910-1998 昭和-平成時代の随筆家。
明治43年1月7日生まれ。樺山(かばやま)愛輔の次女。白洲次郎の妻。女人禁制の能舞台に演者としてはじめてたつ。昭和18年「お能」を刊行し,「能面」「かくれ里」で読売文学賞を2度受賞。古美術,古典文学,紀行などはばひろい分野で活躍。平成10年12月26日死去。88歳。東京出身。アメリカのハートリッジ-スクール卒。
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